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2004年4月

2004年4月 4日 (日)

■牛丼店支援キャンペーン

今年の1月辺りから、米国産牛肉の禁輸措置で、
牛丼が姿を消し始めた。

ぼくはささやかながら、
「牛丼店支援キャンペーン」
と名づけて、ふだんより積極的に牛丼店に
行くようにしている。
(と言っても週1、2回ほどだが・・・。)

牛丼は1杯300円もしない。豚丼やなんかに
変わって少し高くなったが、400円もしない。
これだけの金額でいつでもご飯が食べられるのは、
ひとえに大手牛丼チェーン店の競争と経営努力の
おかげだと思う。

ところがBSE問題のために、中核メニューを
販売できなくなった。当然売上が落ちる。
会社にとっては経営危機である。
何度も安くてそれなりにおいしい牛丼のお世話に
なった利用者としては、他人事ではない。
これがマイキャンペーンの理由だ。


こういうとき、1人の利用者としてはどういう
対応をするのがよいか? 少し極端に分けてみた。

A)牛丼の提供が再開されるまで店には行かない。
  牛丼店の経営は会社が対応すべきこと。

B)牛丼店には危機を乗り切ってもらいたいので、
  代替メニューでも食べに行く。
 (もちろん代替メニューを好きになれなければ、
  続けて行かなくてもよい。)

吉野家、松屋、すき家、中卯の大手4社はいずれも
株式を公開している。ビジネス(あるいは金儲け)
のためにお店をやっているのだから、経営危機に
客は関係ない。
利用者が支援しなくても経営危機は乗り切れる、
売上の低迷で損失をこうむるのは株主や経営者で、
利用者ではない。
これはAの立場。
この態度や主張が間違っているとは言えない。

しかし、ドライな市場原理ばかりでよいのだろうか。
各社に経営危機を乗り切ってもらうまで、
利用者として応援するというBの立場は、
企業を利するだけの情緒的な反応に過ぎないだろうか。
長い目で見れば、利用者にとっても望ましい対応とは
言えないだろうか。


きちんとした論理にもとづく主張はできない。
しかし企業に市民性とか社会的責任が要求される今日、
この問題を掘り下げれば、
「消費者は市民でなくてよいのか」あるいは
「市場経済分野での消費者の市民性とは何か」
というテーマにつながっていくと思う。■

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■数珠の珠数を数える

友人が勤めていた外資系の金融機関を退職した。
転職するつもりらしいが、しばらく休みをとって
「自分の持って生まれた数珠の玉数を数える」
と言う。
ぽくは言葉の意味を知らなかったが、
友人にたずねると、やはり仏教の教えとかで、
数珠の珠数は多い方がよいが、
生まれ持った珠数は決まっているのだそうだ。

野暮を承知で「珠数」を「能力」に置き換えた上で
わが身に当てはめて言うと、
自分の「数珠の珠数を数える」ことの大切さを
この年になって痛感している。

ぼくはその友人と同じく30代半ば過ぎである。
これまでは「まだこれから」の部分が大きい
という気持ちが強かった。
しかし、このところ徐々に自分にできることの
範囲の狭さを感じるようになってきた。

それは「能力」の限界ばかりではない。
自分の歩いてきた道がすでにあるために、
そこから行けるところがおのずと絞られている
ということだ。

もちろんそこからまったく違う方角に進むことも
できるが、それでは社会に十分に役立てない。
結果的に、食えないということもなりかねない。

自分の歩いてきた道を踏まえ、どうすれば
自己実現を図りながら、
人の役に立つことができるか――。
30台半ばを過ぎてこの問いに答えるためには、
自分の「数珠の珠数を数える」ことが
欠かせないように思う。
少々つらいが避けて通るわけには行かない。■

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