■数珠の珠数を数える
友人が勤めていた外資系の金融機関を退職した。
転職するつもりらしいが、しばらく休みをとって
「自分の持って生まれた数珠の玉数を数える」
と言う。
ぽくは言葉の意味を知らなかったが、
友人にたずねると、やはり仏教の教えとかで、
数珠の珠数は多い方がよいが、
生まれ持った珠数は決まっているのだそうだ。
野暮を承知で「珠数」を「能力」に置き換えた上で
わが身に当てはめて言うと、
自分の「数珠の珠数を数える」ことの大切さを
この年になって痛感している。
ぼくはその友人と同じく30代半ば過ぎである。
これまでは「まだこれから」の部分が大きい
という気持ちが強かった。
しかし、このところ徐々に自分にできることの
範囲の狭さを感じるようになってきた。
それは「能力」の限界ばかりではない。
自分の歩いてきた道がすでにあるために、
そこから行けるところがおのずと絞られている
ということだ。
もちろんそこからまったく違う方角に進むことも
できるが、それでは社会に十分に役立てない。
結果的に、食えないということもなりかねない。
自分の歩いてきた道を踏まえ、どうすれば
自己実現を図りながら、
人の役に立つことができるか――。
30台半ばを過ぎてこの問いに答えるためには、
自分の「数珠の珠数を数える」ことが
欠かせないように思う。
少々つらいが避けて通るわけには行かない。■
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