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2005年4月

2005年4月16日 (土)

■「政策空間」に投稿しました。

友人に紹介してもらったウェブ上の媒体「政策空間」に記事を投稿しました。

「民主主義制度の構造を見直さなくてよいか?――政府の権力は逃避している」

最近、きっちりとした文章を書いていないので自分の考えをまとめるのに、かなり苦労しました。しかもちょっと硬くなりすぎたと反省しています。

しかし、デモクラシーについてしばらく考え続けてきたことを、整理する良い機会になったので、紹介してくれた友人と掲載してくれた編集部には感謝しています。これに懲りず、考えていることを文章にして発信していくつもりです。■

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2005年4月15日 (金)

■ロバート議事法

「ロバート議事法(議事規則)」というものを知っていますか?

私は河野太郎氏のメルマガ「ごまめの歯ぎしり」(05年2月14日号)で初めて知った。会議の一般的な運営規則だという。

グーグルで調べてみると、トップに出てきたのはライオンズクラブのウェブサイトで、これがもっとも詳しく説明してあった。「世界で最も標準的かつ権威ある議事法典」で「組織や会合を民主的にかつ効率的に運営するためのもの」とある。

デモクラシーのインフラになるルール、あるいはノウハウではないか。ちょっと勉強してみるつもりです。本が出ているらしいので、その情報も追って掲載します。

ちなみに、JC(青年会議所)が会議則をロバート議事法をベースにしているらしく、検索結果には各地のJCサイトが登場した。■

ライオンズクラブ 330複合地区ガバナー協議会事務局

●「ごまめの歯ぎしり」(05年2月14日号)

【ロバート議事規則についての本】 2005/04/16 追加記事 *リンクはLibrary

●「民主主義の文法――市民社会組織のためのロバート議事規則入門―― 」(ロバート議事規則の解説書、出版社サイト

●「ロバート議事規則」(全訳、アマゾンサイト

※2005/04/19 加筆修正(URLをリンク化、リンク先追加)

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2005年4月 5日 (火)

■少子化対策への反論に学者魂を見た。

「子どもが減って何が悪いか!」
赤川学、2004/12、ちくま新書

「今どきなかなか挑戦的なタイトルの本じゃないか」、と書店で手にとったら学生時代の同級生が著者だった。もう10年以上も会っていないが、知人の活躍をこうして目にするのはうれしいことだ。それに自分もがんばらないと、という励みにもなる。

少子化対策は間違っている
この本の最大の主張は、「男女共同参画社会」が少子化対策にならない、という驚くべきものだ。個人的にも、働く女性、とくにフルタイムで働く女性が、職を続けながら出産・育児をしやすくすることは、女性の生き方にとっていいことだと考えてきた。本書もその点を否定しているわけではない。ふつうはそれが少子化対策にもつながると思うし、私もそう思い込んできた。

現に、本書によれば、政府や一部の学者はそういう主張をし、マスコミもそういう報道をしている。しかし、それらは科学的根拠に欠くものである、という反論が順を追ってしっかり展開されていく。マスコミ等を通じて形成された認識、あるいはもう少しリアルな認識――私自身には子供はいないが身近で見聞きする経験から得たもの――が覆されていくのだ。なるほど、学者の仕事とはそういうものでなくてはならない。

リサーチ・リテラシー
このことを著者は「リサーチ・リテラシー」として次のように説明している。

リサーチ・リテラシーは、国や報道機関が公表したことならすべて事実に違いないと信じる「素朴な人」の段階をこえて、公表されているデータに対して疑いの目を向ける、つまりツッコミを入れられる人になること、そして最終的には、相対的に妥当な統計とそうでないものを区別できる「批判的な人」になることを目指している。(同書序章、p.14より)

政府とマスコミは信じられるか?
こういうまともな主張に触れると、ますます政府・マスコミに対する不信感が募る。イラク戦争が始まるとき、戦争に向かって進んでいくときは、こんな感じで「戦争やむなし」みたいな空気が作られていくんだ、という感覚を抱いた。しかし、少子化対策にまで政府やマスコミに作られたイメージが広がっているとは・・・。素人としては、リサーチ・リテラシーとまでいかなくても、メディア・リテラシーで自衛しなくてはならない。■

※左側に @niftyBOOKS へのリンク

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2005年4月 2日 (土)

■民主主義制度があるだけではデモクラシーと呼ばない。

これから、このプログでデモクラシーについて書いていこうと思う。

まず最初にデモクラシーの定義から。

「統治の最終的な意思決定権をその社会を構成する人々が握っている状態、またはそういう社会」

この定義をする意味は、単に「民主主義制度」があるだけで、その社会をデモクラシーと呼ぶことを避けるためだ。それ以外の面では、定義として不十分なところもあるだろうから、追々見直していきたい。

デモクラシーあるいは民主主義という言葉は、戦争する理由にも使われるくらいだから、簡単に信用してはいけない。「民主主義制度」があることをもって、デモクラシーだと思い込まされてはいけないと思う。

また、デモクラシーは望ましい状態ではあるけれど、究極的な目標ではなくて、何かの目標のための手段――統治のあり方――にしか過ぎないのだと思う。何が目標かということも含めて、これから考えていきたい。■

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