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2005年9月

2005年9月 9日 (金)

選挙に行くべきなのか?

今回の選挙に対する関心は、これまでより高いと言われている。多少は予想外の解散だった点、郵政民営化という単純化された争点が強調されている点、「造反議員」に対する「刺客」騒動などが話題にされている点が主な理由だろうか。

しかし、私はこの選挙自体を支持してよいものか疑問に感じる。

小泉首相は、郵政民営化法案について民意を問うために解散をしたのだが、これは解散権の濫用だと思う。憲法上の問題はないのかもしれない。しかし、衆議院ではその法案は可決されたのだから、その衆議院を解散するのはおかしいではないか。

一人の政治家として、郵政民営化という政治信条を曲げずにいることは立派なことだ。しかし、行政府の長である総理大臣が、自らの政治信条を実現する法案を通すために国会を解散するのは権力の濫用だろう。

政府・与党側は、郵政民営化を問う「国民投票」的選挙という位置づけをしているが、国民投票(直接投票)の分野でも、政府側が発議するタイプのものは必ずしも評判がよくない(※注参照)。議案や発議のタイミングをコントロールできるので、信任投票として利用しやすいからだ(ただし、成功するとはかぎらない)。

今回の解散・総選挙はまさに、権力者が自分たちに有利に運ぶようにしかけた選挙だ。争点を過度に単純化し、「改革」の必要性だけをアピールして危機感をあおり、ふだん政治に関心の低い人にまで「郵政民営化」が必要だと思わせて、投票所に足を運ばせる――そういう戦略が見え見えなのだ。

これに対して「NO」を言う方法は、1つは選挙に参加しないこと、もう1つは政府・与党側の争点誘導にくみせず自分なりの評価基準で選挙に参加することだ。

政府・与党に選挙で勝たせないためには、棄権するよりも野党に投票するほうが効果が大きいはずだ。しかし、もし投票日直前まで政府・与党側が誘導する大勢が揺らがないようなら、私はこの選挙に対する不支持を貫くために棄権するかもしれない。

※注: 直接投票について
直接投票には、市民(国民)が発議する「イニシアティブ」と、それ以外の「レファレンダム」がある。レファレンダムのうち、政府側が恣意的に用いるものを悪い意味をこめて「プレビシット」と呼ぶ。
参考1: 神奈川県大和市のサイト
参考2: 連合神奈川のサイト(多聞善塾講演録) (ページの上から4分の1あたり。「改正」の項)
参考3: 
今回の選挙をプレビシットと捉える人もいる。Bewaad Institute@Kasumigaseki の記事 (記事本体のやや下の方)

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2005年9月 4日 (日)

総選挙と「YES! PROJECT」

YES! PROJECT というのがある。グロービスの堀義人さんが呼びかけ人となって始められた運動だ。

意外かも知れないが、僕はこの運動に素直に賛同できない。堀さんは知らない人ではないし、パワフルな起業家たちによる運動を敵に回すつもりはないし、ケチをつけたいわけでもない。しかし、民主主義社会の実現を切に願う一人として、黙っているわけにはいかない。

ちなみに、YES というのは Young Entrepreneurs Society (若手起業家の仲間)の略称だが、同時に

選挙に行きますか? YES!
改革をしたいですか? YES!
もっと発言しますか? YES!

という3つの「YES運動」を表している。

別にケチをつけるような悪い運動ではない。いやむしろ、これまで政治に関心の薄かった20~40代前半のブログ世代の若手に、政治参加を呼びかけるという意味では、立派ですばらしい運動ではないか。しかも、政治とは無縁だったと思われるような、若手の経営者たちが発起人だ。

なぜ素直に賛同できないか?

1)選挙に行きますか?
 まだ迷っている。前回の総選挙(2003年11月)から2年も経っていないのに、また選挙。今回の解散は、小泉首相の政治的信条である「郵政民営化」を実現するためのわがままでしかない。それに「郵政民営化の是非を問う国民投票的選挙」というのは、総選挙を単一争点化する悪用だ。とはいえ結果的に現政権に有利になるので、野党に票を投じなければと思う一方で、投票に行けばそんな選挙自体を支持したことになるのでは、と迷うのだ。

2)改革をしたいですか?
 3つYESの中に「改革をしたい」という項目を含める意味がわからない。「改革」という言葉に、小泉政権の「改革」を訴え、改革の中身を示さないやり方を連想するからかもしれない。発起人に現政権を支持する意図がないとしても、何を「改革」するか、どのような状態に向けて「改革」するかを具体的に示さずに、「YES」と言うのは(あるいは言わせるやり方は)、同じレベルでしょう。「わが社を改革しよう」では経営者は務まらないのは、よくわかっているはずなのに。

3)もっと発言しますか?
 YES! これだけは素直にYES。ブログなど政治に発言する機会が増えるのはよいと思う。そういう面ではこのプロジェクトは積極的に支持したい。ついでに、ネット関連業界が圧力団体になって、公職選挙法の改正を働きかけてもらうのがよいかもしれない。市場も広がるし。(笑、素直じゃなくてごめんなさい)■

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Google のA株・B株と企業統治

先ごろ株式公開した米検索最大手 Google 社にはA株とB株があるという。

1株の議決権 A株 1票      B株 10票
発行株数   A株1億9100万株 B株1億0200万株
しかも、発行済みB株の約79%は、共同創業者のラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏の2人とエリック・シュミット最高経営責任者(CEO)が保有している(7月末時点)という。
[出所: 日経ネット IT+PLUSの記事 ]

CNET JAPANの記事にあるように、IPO(新規株式公開)の参加者である一般の投資家の議決権が少ないことに、コーポレート・ガバナンスの観点から批判がある。しかし、それでも Google は高値を付けたのだから、投資家は十分にいたことになる。

議決権の異なる二種類の株を発行するやり方は、たぶん「種類株」の一つだろうが、これだけアンバランスな議決権は、最近日本で導入された有限責任事業組合(LLP)や来年4月から導入される合同会社(LLC)を連想させる。

会社の議決権の配分を出資した金額に比例させない(させなくてよい)、という点が共通しているのだ。 Google のA株・B株は、株式会社が株式公開する段階でそれを実現した先駆的なケースと言えるだろう。

今後、このような出資額と議決権がアンバランスなケースが増えるのは間違いない。なぜなら、岩井克人氏の言うように、おカネの価値がヒトの価値に比べて低下しているからだ。ビジネスにおける最も重要な資源はすでに、カネやカネで買えるモノではなく、ヒトに移っている。人的資本の時代なのだ。

もう一歩先に進めて考えると、公開企業(パブリック・カンパニー)の会社統治(コーポレート・ガバナンス)が、資本力の大きな少数者に握られた状態から、多数の人々(経営者、従業員、大きな資本を持たない一般市民)の手に広がる可能性が見える。そうなれば経済社会の統治のあり方は、現在とはまったく違う様相を示すだろう。■

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2005年9月 3日 (土)

郵政民営化も選挙も目隠し装置にさせてはならない

先週日曜日の日経新聞「内外時評」は秀逸だった。

「目隠し装置を取り除け――財政再建に遠い改革の中身」と題した論説委員の吉野源太郎氏のコラムである。ヤマト運輸元社長の小倉昌男氏の言葉を切り口に、8月に参院で否決された郵政法案がすでに骨抜きにされており、仮に通ったところで、国の莫大な借金の問題を先送りする「目隠し装置」にすぎないことを指摘する。

政治・財政の観点からみた郵政民営化の本来の狙いは、郵貯のお金が回る財政投融資(財投)へのカネの流れを止めることである。では否決された法案はどうだったか?

それでも多くの識者がまゆをひそめながら法案を支持してきたのは、貯金・保険部門をいったんは独立させる計画になっているからだ。しかし、それも売却した貯金、保険会社株の買い戻しにより空洞化して、国の実質支配が続く恐れは強い。

日本の財政は既に危機的な状態にある。三月末で七百八十兆円を超えた国の借金は、金利返済だけで雪だるまのように増え続ける。

「七百八十兆円」は政治が国民に許した飽食のツケである。政治は国民に節度を説く代わりに、国民の目から経済の実態を隠して、欲望が無限に実現するかのように錯覚させた。「目隠し装置」として特に威力を発揮したのが財政投融資と年金制度、そして銀行行政だった。(中略)倒産から身を守ってくれる間接金融。老後を“保証”する年金。とりわけ郵貯を入り口とする財投は「第二の予算」となり財政規律をゆがめてきた。

貯金銀行を国債発行の新しい“隠れ受け皿”にしかねない「民営化法案」を小泉首相は踏み絵に使い、刺客騒動を演出する。選挙自体が「目隠し装置」になったように見える。

日経新聞には、こういう鋭い洞察の論説を、日曜日の28面ではなくて平日の社説欄で堂々と掲載してもらいたいものだ。■

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