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2006年2月

2006年2月12日 (日)

人生のチャート(海図)を書き換える

高木善之さんの講演を聞いて、目をつぶるしか逃げ道はないと宣告された思いがした。私たち日本人の生活スタイルは地球を破壊している。まず私たちはそのことを知り、責任を感じなくてはならない。子どもたちの代に住みよい地球を残すためには、人生の目的を改めなくてはならない。手を付けられることから始めると同時に、目的を示すチャートを書き換える作業に取り組もうと思う。

ズシリときた。先週の金曜、昨年仕事で関わった会社の方からのお誘いで、「ネットワーク地球村」代表の高木善之さんの講演会に参加した。「感動した」「感銘を受けた」といった薄っぺらいフレーズで表現できるものではなく、いくつもの衝撃的な事実を目の前に突きつけられると同時に退路を断たれ、目をつぶるしか逃げ道はないと宣告された思いがした。

話を要約して記そう。

私たちほとんどの日本人の生活スタイルは、意識をしていないかもしれないが、利益や経済を優先したものになっている。
例えば冷蔵庫の牛乳。賞味期限の新しいものと旧いもの(期限内)があれば、どっちから飲むだろうか? 「旧いほう」 どうして? 「もったいないから」
ではお店で牛乳を買うとき、賞味期限の新しいものと旧いもの(十分に期限内)があれば、どっちを買うだろうか? 「新しいほう」 どうして? 「冷蔵庫で長持ちするから」
こうして、お店では賞味期限切れの牛乳が発生し、廃棄処分されることになる。「もったいない」という答は、牛乳がもったいないのではない。自分の牛乳(ないしはお金)がもったいないだけなのだ。

こうした私たちの行動や無意識の価値観が、食糧をムダにしたり、地球環境にダメージを与えたりしている。アスベストやフロン、CO2の問題は以前から報道されてきた。ところが私たちの無知、無関心のせいで政治を動かせず、深刻化するまで問題を放置してきた。これは私たち日本人の責任だ。なぜなら欧州諸国はもっと早くから取り組んできたのだから。

このままでは、数十年もすると地球は破壊されてしまう。目先の自分の利益でなく、子どもたちのために住みよい地球を残したいなら、「いい講演を聞いた」で終わらずに、行動を起こさなくてはならない。子どもたちの代に住みよい地球を残すことを目的にした人生のチャート(海図)に書き換えて、生活スタイル(仕事も含む)を改めなくてはならない。具体的にはまず現状を知ることから始めるべきだ。

以上の話は、彼自身が言うように環境問題が中心ではなく、私たち自身の生き方を問う話なのだ。そのことをきちんと受け止めようとすると私たちに逃げ場はない。引用された映画「マトリックス」のように、現実から目をそむけて夢を見続けるのか、厳しい現実に立ち向かっていくのかを迫られる。

私にできたことはと言えば、5千円の会費を払って「ネットワーク地球村」への入会を申し込み、その場を離れることだけだった。これをきっかけに人生のチャートを書き換えなくては、いつまでも夢から醒めることにならない。

※お断り: 講演内容の要約は本ブログの筆者の記憶と解釈にもとづいています。

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2006年2月 4日 (土)

ライブドア事件と「ポスト税金」時代のデモクラシー

ライブドア社事件から窺われるのは、金融・市場経済をステージにして権力者が人々から巧妙にお金を巻き上げる「ポスト税金」のしくみである。デモクラシーの観点から「ポスト税金」対策を講じなくてはならない。

新聞、雑誌の報道などの断片的な情報から推測、憶測するに、ライブドア社の錬金術にはアンダーグラウンドのお金が絡んでおり、政治家も関わっていたと見られる。また他の一部の上場企業でも同様の錬金術が行われていたと考えられる。この推測、憶測にもとづくなら、資本市場(株式市場)は、現代の権力者が人々(投資家)から巧妙にお金を巻き上げるステージとして利用されていると言える。

かつて権力者は「政府」として「税金」を人々から巻き上げた。もちろん現代では大部分が世の中のためになることに使われるのだが、一部を権力者が裁量的に使ってきたことは誰もが認めるであろう。現代の議会制民主主義制度は国王の課税権に対する統制から始まったとされるが、制度の発達で「税金」に対する監視、統制は徐々に厳しくなってきた。

そこで「政府」の権力者は「税金」以外の「年金保険料」や「国債発行」という形でお金を巻き上げる手段をシフトさせてきた。監視、統制の厳しい「表」から周辺や裏へ回るのである。とはいえ、まだこのあたりは「税金」の応用に過ぎないとも言える。

現代の「政府」の権力者が人々からお金を巻き上げる「ポスト税金」のしくみは、例えば「金利操作(インフレ誘導を含む)」や「民営化」である。これらの特徴は政治行政分野を権力基盤としつつも、お金を巻き上げるステージとして金融・市場経済分野を用いている点である。

ライブドア社を利用して資本市場からお金を巻き上げた権力者には「政府」とそれ以外の権力者がいるだろう。どちらが主役かもわからない。しかし、そこから窺われるのは「ポスト税金」の巻上げのしくみの巧妙さと広がりである。もはや「税金」は権力者が人々からお金を巻き上げるメインのしくみではなくなっているのかもしれない。

「ポスト税金」時代のデモクラシーには、金融・市場経済を利用した巻き上げのしくみを捉え、そこでの権力者は誰なのか、どうつながっているのかを捉え、それらを人々が監視、統制するしくみを築いていくことが求められる。それはこれまでの議会制民主主義制度とまったく様相を異にするデモクラシーになりうる。そのことを私たちは「想定」しておくべきであろう。

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