企業のガバナンス &d その2 企業支配権の売買
2006年6月20日付の日経新聞で、伊丹敬之・一橋大学教授は「問い直される『企業支配』」と題して、会社法と株式市場が持つ本質的な問題を指摘している。
私は、その問題は、企業組織が「デモクラシー(民主制)の忘れられた空間」になってきたために生じたと考える。
伊丹教授の主張を要約すると次のようになる。
会社法は株主に企業支配権を与えており、株主にしか与えていない。市場には「資本を投下して果実が生まれるのを期待する」《投資家》もいれば、「短期的な価格変動のもくろみから、利ざやを得ようとする」《投機家》もいる。どちらも株主になれる。
したがって、《投機家》が利ざや稼ぎを目的に企業支配権をちらつかせて企業(の経営陣)に圧力をかけても、《投資家》が経営改革を求めるのと「外形的には区別できない」。つまり法的に《投機家》の圧力だけを排除することはできない。
ところが、企業は単に財産の集合体であるだけではなく、「そこで働く人々の人間集団」でもある。
つまり会社法のもとでは、「ヒトの運命を支配する権力」を株式市場で自由に売買することが認められていることになり、そこに本質的な問題がある。
(以上、「」内は原文より、要約は当ブログ筆者)
考えてみれば当たり前のように違和感を覚える問題である。なぜこれまで気づかなかったのか?
企業組織は「そこで働く人々の人間集団」からなる一つの社会である。ところが、私たちは「政治分野(国や地方の政府)」のデモクラシー(民主制)には関心を払ってきたが、「市場・経済分野(企業組織)」のデモクラシーのことはすっかり忘れていた。社会は「国」や「自治体」や「地域」だけでなく、「会社」や「職場」や「家庭」も社会なのに、である。
企業のガバナンス(統治)の領域、中でも株式市場との関係は、デモクラシーが忘れられ未発達・未成熟な空間なのである(*2)。伊丹教授が指摘する問題は、そこから生じていると解釈すべきであろう。
*1: 「経済教室」欄、「資本市場と企業統治」シリーズ最終回にあたる。
*2: これまでの企業統治がまったく非民主的であったと主張するつもりはない。政治分野のデモクラシーと同じような関心を持って、法整備を含めた制度構築をしてこなかったというだけである。
"&d"="and democracy": デモクラシーを切り口に様々なトピックを捉えるシリーズ。
| 固定リンク
「デモクラシー」カテゴリの記事
- 共謀罪法案はミサイルよりも深刻な危機(2017.05.14)
- 市場メカニズムがもたらす関心と責任感の狭域化を自覚せよ(2017.03.03)
- 討議型世論調査(DP)のエッセンスを活かす(2015.05.12)
- 一票の格差と国民審査(2009.08.05)
- 国会議員の「世襲」問題について(2009.05.30)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント