アクション・ラーニング講座
「アクション・ラーニング」はさまざまな使い方をされる言葉だが、この講座で学ぶ手法の真髄は「質問しかしない、その答しか話さない」というところにある。
オブザーブでその威力にショックを受けていたので驚くことはなかったが、今日、改めて自分の思考スタイルに揺さぶりを掛けられた。ややマゾヒスティックな快感だ。――わけを話そう。
私は、問題を相談されたとき、その本質を捉えるための見方(仮説)を示したり、解決策(案)を出したりという行為を、ほとんど無意識にする傾向がある。ところがこれが行き過ぎると「鋭い捉え方を示して見せたり、的確な解決策を出して見せたり」する、自己満足的な行為に陥りかねない。その危険性は意識している。
一歩下がって自己満足的でないとしても、解決策を提示することが相手のためになるかと言うと、そうとは限らない。腑に落ちなければ、多くの場合、行動に移せないからだ。
もう一歩下がって、相手の腑に落ちて行動に移せたとしても、次の問題が生じたとき、またこちらに答を求めることにならないか――。
一部のコンサルティング・ビジネスとしては、それで良いのかもしれない。しかし、問題解決よりも教育(正確には学習支援)に軸足を置く私としては、そのスタイルは取りたくない。だからというわけではないが、自分のスタイルを見出せないために、最近いわゆる「コンサルティング」をしていない。
しかしアクション・ラーニングのようなスタイルであれば、(相手の会社の実務上の問題をそのまま取り上げるという意味で)コンサルティング的に関わることができそうだと感じている。
そのためにはまず、捉え方や答をこちらが見つけるのでなく、相手の当事者たちが見つける支援をするような思考スタイルに変わらなくてはならない。「思考スタイルに揺さぶりを掛けられる」のが快感なのは、生みの苦しみだと感じられるからだ。
ところで、これは私自身の成長のためでもあるのだが、相手のためでもある。
なぜなら――白状すると少し悔しいのだが――まだ数回の経験ながら、アクション・ラーニングを通じてチームで導き出す問題の捉え方や解決策は、自分一人で考えたものよりも、つねに優れているからだ。「複数の脳みそ」の威力はそれほど凄い。
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