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2007年4月

2007年4月16日 (月)

アクション・ラーニング講座

ある研修会社さんのお誘いで体験セミナーをオブザーブしたのをきっかけに、アクション・ラーニングの講座(GIALジャパン開催)を受けることにした。2日間の基礎コース + 4ヶ月間にわたる計4日間のコーチ養成コースで、今日はその初日。

「アクション・ラーニング」はさまざまな使い方をされる言葉だが、この講座で学ぶ手法の真髄は「質問しかしない、その答しか話さない」というところにある。

オブザーブでその威力にショックを受けていたので驚くことはなかったが、今日、改めて自分の思考スタイルに揺さぶりを掛けられた。ややマゾヒスティックな快感だ。――わけを話そう。


私は、問題を相談されたとき、その本質を捉えるための見方(仮説)を示したり、解決策(案)を出したりという行為を、ほとんど無意識にする傾向がある。ところがこれが行き過ぎると「鋭い捉え方を示して見せたり、的確な解決策を出して見せたり」する、自己満足的な行為に陥りかねない。その危険性は意識している。

一歩下がって自己満足的でないとしても、解決策を提示することが相手のためになるかと言うと、そうとは限らない。腑に落ちなければ、多くの場合、行動に移せないからだ。

もう一歩下がって、相手の腑に落ちて行動に移せたとしても、次の問題が生じたとき、またこちらに答を求めることにならないか――。

一部のコンサルティング・ビジネスとしては、それで良いのかもしれない。しかし、問題解決よりも教育(正確には学習支援)に軸足を置く私としては、そのスタイルは取りたくない。だからというわけではないが、自分のスタイルを見出せないために、最近いわゆる「コンサルティング」をしていない。

しかしアクション・ラーニングのようなスタイルであれば、(相手の会社の実務上の問題をそのまま取り上げるという意味で)コンサルティング的に関わることができそうだと感じている。

そのためにはまず、捉え方や答をこちらが見つけるのでなく、相手の当事者たちが見つける支援をするような思考スタイルに変わらなくてはならない。「思考スタイルに揺さぶりを掛けられる」のが快感なのは、生みの苦しみだと感じられるからだ。

ところで、これは私自身の成長のためでもあるのだが、相手のためでもある。

なぜなら――白状すると少し悔しいのだが――まだ数回の経験ながら、アクション・ラーニングを通じてチームで導き出す問題の捉え方や解決策は、自分一人で考えたものよりも、つねに優れているからだ。「複数の脳みそ」の威力はそれほど凄い。

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2007年4月 6日 (金)

サイバー・カスケード &d

「サイバー・カスケード」と呼ばれるネット上の情報伝播のパターンと、民主主義にどういう与えるかについての考察。

【コラム】 世界の街角から (5) ニューヨークで考えたこと(2) 
I-netは、民主主義の敵か

【コラム】 世界の街角から (5) ニューヨークで考えたこと(3) 
I-netは、民主主義の敵か(2)

これは前回も引用したキャス・サンスティーンが「インターネットは民主主義の敵か」で指摘した「サイバー・カスケード」(雪雪崩現象)の典型例である。サ ンスティーンは言う。「サイバー・カスケード現象は次の4段階で発生する。(1)少数の人たちが何かについて発言する。(2)直接情報を持たない人達がそ れを信じる。(3)大勢の人達がこの発言に注目始める。(4)皆が言っているので間違いはないと考え、この発言を鵜呑みにする人の数が増え続ける。

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リーダー民主主義?

竹中平蔵と松原聡が地方を斬る(前編)
統一地方選で問われるもの、問うべきものは何か?

竹中平蔵氏は、とくに地方自治体を想定しての発言だと思われるが、現実の民主主義を「リーダー民主主義、指導者民主主義」と呼んでいる。

我々は今、民主主義の中にいます。民主主義というのは主権者がすべてを決めるという建前になっていますが、実際、そんなことはできないわけです。い わゆる、リーダー民主主義、指導者民主主義なのです。指導者がこうしようではないかと提案して、それに対して賛成、反対する。これが民主主義の実際のプロ セスです。

 従って、こうしようではないかということを、リーダーがしっかり示すことが極めて重要なポイントです。地域それぞれの個性を生かして豊かになっていく、地域が自立していくためのビジョンをどのように示すか。それに対して有権者がどう判断して投票するかということです。

「リーダー民主主義」「指導者民主主義」でグーグル検索しても、この記事を除いて、上位3ページぐらいには出てこない。出てくるのは「リーダー」と「民主主義」、「指導者」と「民主主義」が混在するもの。

勝手に言葉を作るな、なんて言うつもりはない。民主主義におけるリーダーや指導者の役割というのは、民主主義の建前のもとであまり強調されて来なかった点を突いた表現なのだと思う。ただし裏返せば、建前を捨てて開き直られるリスクのある表現だとも思う。

ここでは「首長」を想定しているが、投票で選ばれればリーダーは権力を握ってよいかというと、そうではないという意味だ。もちろん竹中氏は、この記事の後半で地方議会の役割についてもしっかり言及している。言葉が一人歩きしないことを願う。

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