ねじれによる停滞をもって二院制を否定すべきではない
現在の衆院・参院の勢力逆転、いわゆる「ねじれ」について、二院制に対して批判的な論調を見受ける(※1)。しかし、二院制そのものや両院の権限差などの制度を問題視するよりも、望まれるのは議会を担う議員や政党の「成熟」である。与野党の対立を前提とし、安易に多数決に頼る議会運営が、ねじれのもとで停滞を生んでいる。議会が目指すべきは合意であって、党派的な対立ではない。
そもそも二院制は、一つの議会による決定の失敗をカバーするための、慎重な制度である。その点では短期的な効率性を犠牲にしていると言える。民主主義制度は、つねにベストの結果を出す政治制度ではない。長い目で見たときに大きな失敗をしないという点で、他の政治制度より優れていると考えるべきものである。
現在の日本の二院制の諸制度に不備がないと言うつもりはない。しかし、そもそも短期的な効率性を重視したものではない以上、ケースによってはうまくいかないこともある。制度がすべてを解決してくれるわけではない。そこから先は運用者、つまり議会を構成する議員や政党の見識に委ねられる。成熟した民主主義制度には成熟した議員・政党、そして国民が必要なのである。
※1: 例えば、3月17日付け日経新聞「核心 ねじれ初の3月危機 この二院制でよいのか」。
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