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2009年4月

2009年4月30日 (木)

豚インフルだけでなく鳥インフルに備える

WHOが警報フェーズをパンデミック期(※1)の1つ手前、フェーズ5(※2)に高めました。すでに多くの人が感染、発症し、亡くなっている方もいます。

日本ではまだ感染者が見つかっていませんが、「わずかかもしれないが、まだ見つかっていないだけ」と考えたほうがよいと思います。集合研修を含め、仕事や日常生活全般において警戒をしなくてはなりません。

とはいえ、前から警戒していた「鳥インフルエンザ」ほどの脅威ではないようです。今回の豚インフルは弱毒性のH1N1型とされますが、もっと警戒しなればならないのは強毒性のH5N1型の鳥インフル。

豚インフルが大流行したからといって、鳥インフルが流行しないというわけではありません。今回の危機を豚インフルへの対応に留めず、鳥インフル流行への備えの機会としても捉えることが大切だと思います。

※1: インフルエンザ・パンデミック:「新型インフルエンザウイルスがヒトの世界で広範かつ急速に、ヒトからヒトへと感染して広がり、世界的に大流行している状態」
http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/pandemic/QA01.html

※2: 現在のWHOによる「世界インフルエンザ事前対策計画(WHO global influenza preparedness plan
)」における警報フェーズ
http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/05pandemic.html

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2009年4月28日 (火)

グリーの成長

SNSではミクシィが一人勝ちだったのは、もう昔の話になってしまったようです。業績ではグリーが逆転する見込みらしい。

日経新聞によれば両社の業績は以下の通り。(※1) 決算期が違うなどで厳密な比較はできませんが、売上高利益率では約2倍です。

    売上高       最終利益      決算期
グリー 12,800百万円 3,870百万円  09年6月期見通し
ミクシィ12,000    1,900     09年3月期推定


詳しい確認はしていませんが、会員数でミクシィに大きく水を空けられたあと、グリーはケータイに集中したはず。ケータイのビジネスモデルに転換したのが成功要因でしょうか。


※1: 2009/04/24付 日経新聞 投資・財務1面 「専門サイト『課金型』好調 安価で手軽、会員増え好業績  『広告依存型』は苦戦 出稿伸びず利益率低下」
 記事中、グリーは「課金が主力」、ミクシィは「広告が主力」に分類されている。

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ネットで政治献金

オバマ大統領の選挙戦で話題になったネットを通じた個人の政治献金は、日本では難しいとされてきた。それが可能になるという。

日経新聞によれば、楽天が5月にサイトを立ち上げる。当初は楽天グループが発行するクレジットカードに限られるが、他のカード会社にも呼びかけるという。(※1) 

まだ正式発表されていないようだが、主な計画、検討事項は以下の通り。(※2)

・献金の対象は政治家個人(の政治資金管理団体)
・1回の献金の最低額は千円から5千円
・手数料等は政治資金管理団体が負担する
・超党派の大規模なサイトとする
・立ち上げ時には衆院選挙の全候補者の写真・経歴を掲載
・参院議員や地方議員に広げる
・政見放送を見られる機能を追加する


楽天としては、政治献金の入口を握ることで政治的な圧力への抵抗力を獲得する思惑があるかも知れない。しかし、他社が追随すれば楽天だけがパワーを握るわけではないので、悪くないだろう。まずは実現に向けて政治的な妨害に合わないことを願う。


※1: 2009/04/25付 日経新聞 総合欄 「政治献金、カード払いで 楽天が個人向けサイト」

※2: 内容は記事より。楽天のプレスリリースサイトには現時点で未掲載。http://www.rakuten.co.jp/info/release/index.html

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2009年4月26日 (日)

ユニクロに見る脱コモディティ化

カジュアル・日常衣料品と言えば十分コモディティ化した商品分野で、基本的には価格競争の世界です。しかし、ファッションという面があるので、完全なコモディティ化には至りません。

ファストフードになぞらえて、ファストファッションという表現があるように、いかにそのシーズンの流行や消費者の気分になった色やデザインを、素早く量産して提供するかが勝負です。そこにフォーカスしたギャップ、ユニクロ、ザラ、へネス&マウリッツなどのSPAと呼ばれる製造小売が、世界的に成功しています。

最近の景気後退の中で、ユニクロの好調さがよくニュース等で取り上げられますが、ユニクロの強さにはもう1つの軸があります。基本機能面でのイノベーションです。個別のヒット商品としては注目されているものの、脱コモディティ化の戦略として取り上げているものを見ないので、強調しておきたいと思います。(※1)

具体的には、「軽くて暖かい」フリースに始まり、ヒートテック下着やブラトップなど、ユニクロのヒット商品の大部分が、新素材などを活かした高機能品です。数値的根拠はありませんが、かなり多い印象です。

彼らは、流行の服を高い品質で、安く作ること、速く作ること、売れ残りを減らすことなどに力を入れているだけでなく、基本機能面でのイノベーションにかなりの力を入れています。

カジュアル・日常衣料品に基本機能面でのイノベーションというのは、一見考えにくいですが、まだまだフロンティアがあったのです。


自分の製品・サービスについても、コモディティ化したと嘆く前に、基本機能面でのイノベーションの余地がないか、改めて考えるべきでしょう。


※1: 上に挙げた海外勢のSPAが機能面でのイノベーションに取り組んでいるかどうかは調べていません。

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老後の生活「非常に心配である」が5割

日経の連載記事中に出ていた金融広報中央委員会の2008年調査によると、老後の生活に関する考え方で、「非常に心配である」と回答した人が50.1%を占めた。(※1) 1992年の調査では2割未満であったと知れば、これがどれほど多いがわかるだろう。

グラフを見ると「非常に心配である」の割合は、この16年間傾向的に増え続けている。おおむね前半は、次の「多少心配である」が約5割で一定で、残りの機「それほど心配していない」と「全く心配していない」が減っている。後半は「多少心配である」が減っている。

つまり、90年代は「心配層」が拡大し、00年代は「心配層」の心配が深刻化した、と言える。

バブルの崩壊や人口の高齢化、少子化、それらに伴う年金財政の悪化などの要因はあるけれど、結果的に生活の不安感が高まっているのは否定できない。

簡単な答えがないのはわかっているが、私たちの社会としては、この問題にきちんと向き合わなくてはならない。


※1: 2009/04/24付 日経新聞 経済教室欄 「ゼミナール 消費と日本経済 39 消費拡大の課題 『将来不安』の払拭が重要に」 の本文およびグラフより。

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スーパーの地位の変化に思う

最近はあまりフォローしていませんが、昔勤めていたせいでスーパー業界のことは多少気になります。先日の日経の夕刊にスーパーの商品構成比の変化が載っていました。(※1)
それによると:

日本チェーンストア協会加盟のスーパーの商品別売上構成比は

      1998年     2008年
合計売上高 16.8兆円    13.3兆円
食料品   49.5%     61.9%
衣料品   19.5%     11.6%
住居関連品 21.2%     20.2%

となっています。(サービス、その他は省略)

売上高は10年間で2割減少しています。
食料品の構成比が12%ポイント上がっていますが、全体の売上が2割減少しているので、売上高はほぼ横這い(微減)です。

衣料品の売上高は半減以下。住居関連品も4分の3になっています。

このデータでは国内の需要量全体がつかめませんが、記事にあるようにユニクロなどの専門店に押されているのは確かでしょう。

スーパー自体、1990年ごろまではGMSと呼ばれる衣食住総合的な品揃えの業態が主流でしたが、食品を主体とした業態にシフトしていることも要因でしょう。しかし、これは専門店勢力に負け続けた結果、その業態しか残らなかった、とも言えます。

規模が大きくなって、なお攻めるというのは難しい。

そういう面から見て、(今は苦しんでいますが)トヨタやホンダのような大きくて、なおかつ成長を続ける企業はすばらしいと思います。


※1: 2009/04/21 日経新聞夕刊 「なるほどシェア 衣料品、スーパーで地位低下」

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2009年4月24日 (金)

「ダイアローグ 対話する組織」

企業/組織変革、企業研修に関わる方、とくに「学習する組織」に関心のある方には一読をお勧めします。

読み終えた知人から「朝尾さんにお勧め」と譲っていただきました。企業内人材育成の研究会をされている二人の著書なので、チェックはしていたのですが、決定打に欠けるような気がして買っていませんでした。(^_^;)

お勧めするポイントは、企業内でのダイアローグあるいは対話の役割について、アカデミックな文脈の上に位置づけている点です。

ダイアローグや対話は、形がとらえにくいだけに経験知、成功例として語られることが多いのですが、もうそういう初期段階は終わるべきだと思うのです。

なぜコミュニケーションのあり方から変えなくてはならないのか、をきちんと体系立てて理解し、組織的に変革を進めていくべき時期が来ています。背景になる理論が発展してきていることが、この本を読めばわかります。

大きな組織は論理的な説明がなければ、これまでのやり方を変えることがとても難しい。内部/外部から変革を進めようとする人には、こうした理論武装が必要だと思います。

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2009年4月22日 (水)

5つの経営戦略論

3月末から4月上旬にかけて日経新聞「やさしい経済学」欄に連載されていた「経営戦略論の系譜と本質」によれば、経営戦略の戦略観(学説)は5つのタイプに分類できると言います。(※1)

1.戦略計画学派
2.創発戦略学派
3.ポジショニングビュー
4.リソース・ベースト・ビュー
5.ゲーム論的アプローチ

この次の連載(※2)に
「人は自分が重要と感じることなら何もかも戦略と形容する習性がある」
という名言がありましたが、経営戦略論(フレームワーク)は、こうした考え方の違いあるせいで共通の土台の上で語ることが難しいのです。

その意味で、5つに分類して、それぞれの特徴、メリットとデメリットを解説してくれるのはありがたい。

多くの人が自分の好みの戦略観を重視する傾向があり、著者はそれを「戦略バイアス」と呼んでいます。

私たちは自分自身の「戦略バイアス」を自覚するべきでしょう。
そのうえで、今この組織のこの状況で、どの戦略観を重視した戦略立案を行うべきかを判断すべきです。

言うほど簡単なことではありませんが、やはり入口を間違えないことが大切です。

あなた自身、どんな「戦略バイアス」を持っていますか?

※1: 日経新聞 2009/03/26〜04/06付 沼上幹(一橋大学教授)「やさしい経済学―経営学のフロンティア『経営戦略論の系譜と本質』(1)〜(8)」

※2: 日経新聞 2009/04/10〜04/21付
三品和広(神戸大学教授)「やさしい経済学―経営学のフロンティア『超長期の企業戦略論』(1)〜(10)」の「(3)利益に影響」の冒頭部より。

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2009年4月21日 (火)

質問会議(ALセッション)で犯人探しをしない理由

質問会議(ALセッション、※1)の規範の一つに「課題そのものに注意を向ける」があります。具体的には「犯人探しをしない」ということです。

なぜでしょうか?

この規範が重要なのは前半の「問題を明確化する」フェーズ。とりわけ部下、同僚、上司に絡む「問題」の場合に意識することが必要です。

典型的な例は、ある人物と問題提示者を含む周りの人みんながうまくいっていない場合。自然とその人物に関する質問が多くなります。

これが続くとき、「規範は守られていますか?」「犯人探しになっていませんか?」と尋ねても、質問会議に慣れないチームではほとんど、否定的な答えが返ってきます。「状況を確かめているだけだ」と。

これは「犯人探し」ではないのでしょうか?

私は「犯人探し」だと考えています。確かに話を聞いていると厄介そうな人であったり、組織が望んでいないような行動をとる人であったりします。でも一緒に仕事をしなければならない同僚なのです(仮に追い出すという解決策があるなら、問題提示されていません)。

問題の捉え方としては、どうすればうまく一緒に仕事ができるかという課題に結びつくものでなくてはなりません。でなければ解決に向けた行動がとれません。

つまり、問題を明確化する、問題の本質を捉える、というのは、必ずしも「問題を客観的に捉える」のと同じではないのです。

解決に向けた行動をとるためには、多面的な視点を踏まえたうえで、主体的(主観的)に問題を捉えるべきなのです。他責でなく自責と言うこともできます。


質問会議の未経験者が多いセッションでは、この手の問題を避けたほうが安全でしょう。メンバーが客観的に問題を捉えるので、気づかないうちに「犯人探し」に傾いてしまうです。チームが経験を積めばこの問題は解消できるでしょう。


※1: 「質問会議」については下記をご覧ください。
弊社サイト:「質問会議」(アクションラーニングのセッション)
http://www.openpower.jp/2009/03/post-d279.html

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2009年4月19日 (日)

駅のホーム柵

先週金曜日の日経夕刊に、駅のホーム柵の義務化を国土交通省が検討しているとの記事が出ていました。(※1)

大歓迎です。

少し前に見知らぬ人を突き落とすという事件がありました。ホームの端っこを歩いていて、うっかり足を踏み外したらしい事故を新聞でときたま見かけます。

仮にこれらを例外的な事故としても、混雑時の駅のホームは危険すぎます。そうは思いませんか?

黄色い線の内側、というのは混雑時にはほとんど無視されています。列の先頭に立つ人の位置がほぼ黄色い線なので、ホームを移動しようする人は、混雑しているホームの内側でなく黄色い線の線路側を歩いて横切ろうとします。

慣れはおそろしいですね。あれを怖いと思わなくなっているのですから。

怖がりの私は、ホームの幅が狭い駅は嫌いです。広い駅でも乗車待ちの列の先頭寄りに並ぶのは避けます。やむを得ずホームの端に近いところを歩くときも、必ず電車が停車している側か、出て行ったばかりの側を歩きます。

柵のある駅はどんなに安心するか!


国交省は補助金も検討しているようですが、鉄道会社がホーム柵設置のための時限的な運賃値上げをしたとしても、受け入れられるのではないでしょうか?


※1: 2009/04/17付 日経新聞夕刊社会面「ホーム柵義務化検討 利用者多い全国2800駅 国交省 接触事故や自殺防ぐ」

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2009年4月18日 (土)

定額給付金によるプチ経済政策

わが家にも定額給付金の申請書が届きました。

日経新聞によれば、八王子市は、「定額給付金に批判的な市民」に対して、受け取った上で「みどりの保全基金」に寄付をするように呼びかけているとか。受け取らなければ、国庫に返納されるらしく、それよりは地元の活動に還流させようという意図らしいです。(※1)

同じ記事に、「受け取らない」と回答した人が約4%いる、という世論調査結果があるとあります。


受け取る/受け取らないだけでなく、どんな使い途をするか、などいろいろな意思表示のしかたがあるでしょう。

いや、そもそも税金の還付ですから、受け取るのは支持表明でもなんでもなく、ましてや受け取ったお金を何に使うかはプライバシーだ、というのが最も真っ当な考えかもしれません。

しかしまぁ、人に言うかどうかは別として、これを機に「マイプチ経済政策」を考えてみるのも悪くないのでは?


それぞれが自分にとって利益になるお金の使い方をすれば、自然と社会全体の利益が達成される、というのが経済学の古典的なロジックですが、それとは少し違うアプローチがあってもいいでしょう。

社会全体の利益なんてものはそもそも簡単に測定できません。それぞれがイメージする、少し未来の望ましい社会のためにお金を使えば、意外に変化が加速するかもしれません。一人1万2千円であっても。

さて、あなたはどう使いますか?


※1:日経新聞 2009/04/08 付 朝刊 首都圏ページ 「定額給付金拒否なら 『みどりの基金』へ 八王子市が寄付呼びかけ」
●「みどりの保全基金」への寄付を呼びかける八王子市のページ
(受け取らない人に絞って呼びかけているわけではない)
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/seikatsu/kankyohozen/1899/019388.html

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2009年4月15日 (水)

通勤電車で勉強をする人

仕事帰り、やや遅い時間の電車の中。座席で分厚いマニュアルのような本を読む若い男性が目に入りました。

こんな風に、通勤中に仕事に関わる勉強をしていると思しき人をよく見かけます。仕事をとりまく環境が激変する中、学習をしなければ生き残れない、私自身もそんな風に感じます。

しかし、生活は豊かになったはずなのに、どうしてこんなにがんばらなくてはならないのだろう、という疑問も湧きます。(<< 人生に疲れていたりしませんからご心配なく)

野生の動物たちでも、気候や大きな環境変化があれば慣れ親しんだ土地を離れてなくてはならないことがあるでしょう。移動先の未知の環境に早く慣れて餌を獲得しなければ生き残れません。

そう考えれば、私たちがやっていることは特別なことでないように思えます。都市生活者にとって、食糧はお金で買うしかありませんから。

ところが、私たちが面している環境の変化が自然環境の変化かというと、むしろそれ以外の方が大きいように思えます。人間自身が作り出している変化です。しかも、世界のどこかの人だけで引き起こしている変化ではなく、自分の仕事でもその一端を担っているような変化ではないかと。

どこかハムスターカゴの回し車のようではありませんか?
(でも、回していないとあっというまに身体がなまってしまうかも!)

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質問会議(ALセッション)体験会

知人を誘って「質問会議(アクションラーニングのセッション)」の体験会を実施。

これまでの体験会は知人に声をかけて参加者を集めてもらう形式だったので、初めて会う方がほとんど。今回は全員直接の知り合いでした。

しかし接点がばらばらなので参加者どうしは全員初めて。私もちょっと奇妙な気分でした。

セッションは全員初体験。

コンサルタント系のメンバーは意見や結論ではなく質問形式にするのに、最後までてこずったようでしたが、それを自覚できるのがこの手法の特徴。

時間はかかりましたが、全員が当初想像していたのとは異なる「本質的な問題」が捉えられました。これもこの手法の優れたところ。

回数を重ねれば、いいチームセッションができそうです。

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2009年4月14日 (火)

ヒトを活用することの対価と「人才」

働く人のことを、会社では「人材」と呼びます。これを「材料」と同じように扱うのはおかしいと考え、「財産」に喩えた「人財」という言い方もよく目にします。

どちらが良いということではありません。どちらも、何かに喩えられるわけです。

そう言えば、「人手」という表現もあります。時代の流れとしては、製造業的な「人材」や労働集約的な「人手」から、付加価値創出型の「人財」へと変遷してきたのかもしれません。

カタカナでも「ヒューマンリソース」(human resource 人的資源)から「ヒューマンキャピタル」(human capital 人的資本)に変わってきたようです。

ヒューマンキャピタルは「キャピタル(資本)」となっていますが、私が聞いたかぎりでは、(貸借対照表に載っていない)オフバランスの資産と位置づけられているようです。

「資本」というなら、おカネの資本に配当をするように、人的資本にもリターンがあるべきでしょう。労働の対価としてではなく、企業活動の成果配分としてです。ただし、本来的には金銭でなく、人的資本を厚くするようなリターンであるべきでしょう。

つまり、企業活動を通じて働く人の能力、資質などが高める、才能を伸ばすことが、「ヒト」という資源(資本?)を活用することへの(社会への)対価の支払いに当たると考えられそうです。

だとすると「材」でも「手」でも「財」でもなく、「才」がこれからの時代の表現としてふさわしいと思います。(そもそも語呂合わせに過ぎませんが)


あなたは仕事を通じて、自身や同僚の「人才」が育っていると感じますか?

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ブログを書く

2月中旬あたりからブログに記事を書く回数が増えました。ここ以外に、ちょっとした私的なことを書き留める日記のような匿名のブログもあり、それと合わせて1日1記事ペースをかろうじて維持しています。

なかなか継続的に書けずにいた私が、続けるようになったきっかけは、ちょっとした(大きな?)意識の転換。

インプットよりもアウトプットを優先せよ

という決め事に従うことにしたのです。

5つ目の資質が「収集心」(※1)の私は、新聞にとりあえず目を通さずにいられず、気になったウェブサイト(だいたいビジネス、経済系ですが)をついついチェックしてしまったりします。きちんと整理したり、記憶したりするわけではありません。「収集心」の特徴通り、いつか役立つだろう、ぐらいの感覚です。

そこで、1日1ポストのアウトプットを義務づけて優先することにしたのです。

幸い、2,3月は比較的仕事に余裕があったので、書き慣れるにはグッドタイミングでした。多少早く書けるようになりましたが、今度はネタに困ります。出来事を含めてインプットがないと書けません。

得られたことは、
1)インプットに対する意識が強くなったこと(ブログに書ける程度には消化する必要がある)、
2)日常をよく振り返るようになったこと(書くためにもう一段深く掘り下げる必要がある、題材がないか考えを巡らす)。

現実的に「毎日」は無理なので「1日当り」であれば良いことにしています。目標は1年間で365ポスト(記事)です。しかし2ヶ月経過した今、まったく楽観を許しません。脱落間近かも ^^;

※1:「5つの資質」はこの記事を参照ください。ちなみに「収集心」は原語では "input" 。なお「きっかけ」の時点では「5つの資質」のことを知りませんでした。

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2009年4月12日 (日)

なぜクリーニングの急ぎ仕上げは無料なのか?(笑)

最近よくあるタイプの会計本のタイトルを真似てみました。(^_^)
でも会計よりもマーケティング寄りのお話。厳密な分析ではありませんので、予めご了承ください。


いつも利用するクリーニング店。通常より速い翌日仕上げに追加料金がかからないということを先日知り、「なぜ特急料金をとらないんだろう?」という素朴な疑問が湧きました。

急ぐ人に追加料金を求めれば、収益が増えて、利益を増やせるか、他のサービスや割引キャンペーンの原資に回せるはず。しかし、そうしないからには何か理由がありそうです。


私の想像。

まず、追加料金を求めなければ、急ぎ仕上げの注文が増えて困る可能性がありますが、どうでしょう? 困らない理由は何でしょうか?

店舗型のクリーニングサービスは、仕上がり後に店に行って受け取らなくてはなりません。とりわけ、急ぎ仕上げの場合は、早く仕上がった期間内に受け取りに行かなければ意味がありません。(※1)

したがって、急ぎ仕上げを依頼する人はそんなに多くないと考えられます。現に私自身は「急ぎ」にしたことがありません。ふつうは次の週末に受け取ります。たまに「急ぎ」にする人もいるでしょう。うちの妻がそうです。一方で、毎回のように急ぎ仕上げ、という人もいるはずです。

「毎回急ぎ仕上げ」の人たちを一つ顧客セグメントと考えれば、「追加料金なし」は一つの価格戦略です。「追加料金あり」の他店から客を奪えるメリットの方が大きいかもしれません。

客数増の効果が、「たまに急ぎ仕上げ」の客への追加料金から得られる売上増の効果を上回ればよいわけです。「追加料金なし」は「たまに急ぎ仕上げ」の客の満足度を高めてロイヤリティを高める効果も期待できます。

いずれも、「急ぎ仕上げ」の注文が増えすぎないことが重要な前提条件でしょう。


実際にお店で尋ねてみました。

「どうして追加料金がいらないんですか?」

「遅くてもいいお客さんのを追い越して扱うからです」

的を射ない答えのように聞こえますが、実は本質を衝いていました。

週末だけに来る、遅くてもいいお客が多いので、急ぐお客のを割り込ませることができる、というのです。価格戦略かどうかは確かめませんでしたが、追加料金をとる積極的な理由(コストアップ)がないのは確かです。


そこで気づいたのですが、仕上がり後に早くお客に早く引き取ってもらう方が、店にはメリットがあります。引き取りが遅れるとお店の保管スペースが溢れてしまいます。

現にその店では早く引き取ったら5%割引券をくれます。急ぎ仕上げですぐに引き取れば次回5%引き。追加料金どころか、むしろディスカウント!

つまり、この店の場合、店舗の保管スペースには余裕がないが、工場の処理能力には余裕があるんでしょうね。逆パターンは考えにくいですが、配達型のクリーニングサービスがそれに近いかもしれません。


※1: サービス財は、買い手(受け手)の参加が必要、というセオリーです。クリーニングの場合、直接的なサービスのサービスは衣類なので「保管」が可能ですが、「急ぎ」の場合は、「早く受け取る」ことが買い手に求められます。

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2009年4月 9日 (木)

話しているうちに考えが生まれてくる

先日、仕事でないファシリテーション関係の会合で、話し合いの振り返りで出たやりとり。

はっきりした意見があるわけではないのだけれど、何かしら話しているうちに、だんだん考えが生まれてくるんだよね

あー、あるある

でも、それって女性的じゃないですか?

そうなのかな、じゃ僕は女性的なの?

聞いていた僕も「あるある」と思ったのですが、女性的だとは思わなかった!
否定したいわけではないのですが、それ、女性に多いのですか?

逆に言えば、男性は話し始めるときにはすでに考えがまとまっていることが多いのでしょうか?

実は私は後者の(男性的な?)話し方は苦手です。もちろん仕事上では整理してから話すように心がけていますが。(この人は考えをまとめないまま話している、と思われているかもしれません!)

男女で傾向があると思いますか?

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ホワイトボードになる紙

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「消せる紙」という商品名なのですが、ホワイトボードと同じようにマーカーで書けて消せる紙です。(※1)

写真は(これじゃ大きさわかりにくいですが、青い線で囲った部分が)A1サイズ、つまりA3の4倍の大きさです。書き・消しはまったく問題ありません。写真中「消せる」の下半分は消してあります。これが2枚セットで1000円弱。

弊社オフィスでは、A1を横長の田型に4枚連貼りしました。裏にシールがついていたりしないので、コマンドタブ(剥がせる両面テープ)を使いました。

衝立型の両面ホワイトボードがあるのですが、幅がA1サイズほどなので、わりとすぐにスペースが足りなくなります。

「消せる紙」だと、壁面さえあれば2000円と少しの貼る手間で、大きな記入スペースを作ることができます。

A4サイズの商品もあるので、ほかにもいろいろアイデアが出てきそうですね。
あなたならどんな使いみちを思いつきますか?

※1:「消せる紙」(メーカーのサイト)


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2009年4月 7日 (火)

「三人の石切り職人」の寓話

聞いたことのある方も多いと思うのですが、実は「石切り職人」(もしくは「石工」)の話には、三人出てくるものと二人のもの(※1)がありますが、ここでは三人の方。出所はどうやらドラッカーの著書。(※2)

ごくごく簡潔に記すと、

一人目は生活のために石を切る
二人目は国中で一番の石切り職人になるために石を切る
三人目は大聖堂を建てるために石を切る

三人目が経営者として一番なのは言うまでもないが、問題は二人目、というのがドラッカーの指摘したポイントらしいです。

ちょうど先月の日経のコラムにその話が出ていました。(※3)

昨年10月、米ハーバード大学の学長が金融危機に関連して三人の石工の話をし、
「成果主義が幅をきかせたウォール街の人々は二人目の石工」
だと説明し、
「大聖堂を建てようとする社会がなければ、石を切る需要もない。二人目の石工にはそれが分かっていない」
と断じたのだそうです。

私はここでウォール街を批判する意図はありません。

何かの世界で極めよう、一番になろうという目標を抱くことは、ごく自然で普通のことだと思うのです。ところが、それだけになって視野を狭めてしまうと問題が生じかねない。私たちはそのことに気づかなくてはならない、というメッセージだと受け止められます。

さすがドラッカーと言うべきか。

個人の目標も、最初は狭くても良いけれど、成長するにつれて社会性を持たなくてはならない、と解釈しています。

自分の(組織の)仕事の目的、目標には社会性があるでしょうか?

※1: 「二人の石切り職人」の話は田坂広志氏がよく書かれています。(※1)
http://www.hiroshitasaka.jp/tayori/ 第47便 二人の石切り職人 2002年09月19日
内容は公開されていませんが、「二人の石切り職人」で検索すると、いくつも引用したものが出てきます。同じく、ごくごく簡潔に記すと、

一人目は生活のために石を切る
二人目は大聖堂を立てるために石を切る

同じ仕事をするうえでも、意味がまったくちがうという話です。

※2: 「三人の石切り職人」はドラッカーの「マネジメント」が出所らしいです。
http://natsuo-omodaka.no-blog.jp/qualia/2004/11/post_7.html
(原典は未確認です)

※3: 日経新聞 2009/03/19付 夕刊 マーケット総合2 「十字路 ウォール街と政府の失敗」(漢南洞)
ハーバード大学の学長はドリュー・ファウスト氏

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2つのダイバーシティ

ダイバーシティを活かすための研修プログラム「チームビルディングリーダーズ」の、対象層についてこんな質問を受けたことがありました。

「同じ年次に入社した層を対象にした場合、あまり多様性がないと思われるが、どんな学びや効果が得られるのか?」

前提には、多様なメンバーを活かすために「コンフリクトを意識的に起こす」コミュニケーションが有効で、それが学べる、という話があります。そうすると、研修の対象層も多様なメンバー構成にしたほうが実感、実用性ともに高まるだろうと考えられます。もっともです。

であれば逆に、同期入社の人たちは研修の対象層として向いていないのか? という流れです。

答は、「そういう人たちにも向いている」です。

とはいえ、入社年次が異なる人、中途入社の人、正社員でない人、海外法人で採用された人、社外の人などが混じっている場合、つまり受講者どうしが「多様なメンバー構成だと思っている」場合とでは、取り組む上での意識を変えておく必要があります。

同期入社どうしのように「むしろ同質的だと思っている」場合でも、実は人間は一人一人さまざまです。経験や知識だけでなく、思考方法、感じ方、コミュニケーションの取り方などの資質の面でも個性があります。

つまり、
・「多様なメンバー構成だと思われる」メンバーのダイバーシティ
(外見上のダイバーシティ)

・「同質的なメンバー構成だと思われる」メンバーのダイバーシティ
(内なるダイバーシティ)
という、2つのダイバーシティがあると考えましょう。

後者の場合に大切なのは、組織内では「同質化の圧力」がかかっていて、個々人の違い、多様性を押し殺して(あるいは目を背けて)いると意識することです。組織というのは求心力を必要としますから、そうした圧力自体を否定するわけではありません。しかし一方で、多様性を活かせない要因にもなるのです。

「同期入社だから、もう何年も同じ会社・職場で働いているから、同質的だよね?」という思い込みを捨てて、改めて新鮮な目で相手と向き合うのです。

何年も一緒に暮らしている夫婦や家族でも、相手と自分の違いに改めて気づかされること、ありますよね?

それを意識的に引き出すわけです。揉め事(コンフリクト)なしに「うまくやっていく」方法は身に付けているはずですが、その逆を行くことを求めます。

これ自体は、研修プログラムと関係なく実践できるのではないでしょうか?

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2009年4月 6日 (月)

オープンな組織: 方針や目標自体を問えるか?

「学習」の分類方法に「シングル・ループ学習」と「ダブル・ループ学習」というのがあります。(※1)

提唱者のクリス・アージリスによれば、シングル・ループ学習はサーモスタットに喩えられます。設定温度より低い/高いを感知し、スイッチをオン/オフして調節するというものです。

他方、ダブル・ループ学習は、サーモスタットの設定温度が適切か、オン/オフする作動プログラムが適切か、を問いかけて見直すことを指します。

(もし、これらを「学習」と呼ぶことに違和感があれば「行動を(自ら)変えること」と読み換えてもよいでしょう。)

組織に当てはめると、方針や目標を達成するためにPDCAのマネジメントサイクルを回すことは、シングル・ループ学習に当たります。(この場合の“P”は目標を達成するための計画)

ではダブル・ループ学習は?

方針や目標に疑問を投げかけることは、それに当たりますね。(もっとも、グチや陰で批判するのはちがいます。表立って組織的に見直さなければ意味がない。)

経営理念はどうでしょうか?

現実的に、理念自体に疑問が生じることは少ないと思います。むしろ、現実の行動原理が理念に沿っていないことが常態化している場合、組織としてその現実に向き合うことは深いダブル・ループ学習だと言うべきでしょう。

変化の激しい経営環境では、不確実、不十分な情報で大きな意思決定をしなければなりません。必然的に失敗も生じます。戦術では補えない戦略の失敗というやつです。

むしろ重要なのは、それを早期に修正できるかどうか。それが経営の成否の大きな分かれ目だと言えるでしょう。したがって、ダブルループ学習ができる組織の方が生き残る可能性が高いのです。

アージリスは、シングル・ループ学習をクローズド・システム、ダブル・ループ学習をオープン・システムと説明していますが、表現に違和感はないでしょう。

オープンな組織の要素の一つは、ダブル・ループ学習ができることだと言えます。

さて、どうすれば組織はダブル・ループ学習ができるようになるでしょうか?
私たちの課題です。

※1:クリス・アージリス「『ダブル・ループ学習』とは何か」、ダイアモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー 2007年4月号、pp.101-113

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2009年4月 1日 (水)

「新社会人のためのニッポン株式会社」

4月1日。新年度を迎える会社の方も多いことでしょう。
また、今日から社会人(会社員?)という方も多いでしょう。
私は、どちらにも当てはまりませんが(笑)、気持ちを新たに仕事に取り組みたいと思います。

さて、今日から日経新聞、投資・財務欄で表題の連載記事が始まりました。(※1)

「日本の上場企業群を一つの会社に見立て」た「ニッポン株式会社」の全体像の「ツボを押さえておこう」という趣旨です。

財務諸表の入門者にお勧めです。むかし財務分析を学んだという方にも、最新のデータがまとめられていそうなのでお勧めします。

ちなみに「ニッポン株式会社」はというと、3月期決算の全国上場企業3706社(新興3市場と金融を除く)が対象。日本経済新聞社が集計したデータが使われています。日経新聞では「ニッポン株式会社」という表現が使われます。

第1回の今日は「基礎体力」診断と称して、自己資本比率と負債資本倍率が取り上げられています。あまり書くと記事の価値を損なうのでデータのポイントだけ。

〔2008年12月末〕
自己資本比率 34.9%
負債資本倍率 0.88倍 (D/Eレシオ=有利子負債÷自己資本)

詳しくは記事をご覧ください。

※1:2009年4月1日付 日経新聞 投資・財務1「新社会人のためのニッポン株式会社 ①」

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