「三人の石切り職人」の寓話
聞いたことのある方も多いと思うのですが、実は「石切り職人」(もしくは「石工」)の話には、三人出てくるものと二人のもの(※1)がありますが、ここでは三人の方。出所はどうやらドラッカーの著書。(※2)
ごくごく簡潔に記すと、
一人目は生活のために石を切る
二人目は国中で一番の石切り職人になるために石を切る
三人目は大聖堂を建てるために石を切る
三人目が経営者として一番なのは言うまでもないが、問題は二人目、というのがドラッカーの指摘したポイントらしいです。
ちょうど先月の日経のコラムにその話が出ていました。(※3)
昨年10月、米ハーバード大学の学長が金融危機に関連して三人の石工の話をし、
「成果主義が幅をきかせたウォール街の人々は二人目の石工」
だと説明し、
「大聖堂を建てようとする社会がなければ、石を切る需要もない。二人目の石工にはそれが分かっていない」
と断じたのだそうです。
私はここでウォール街を批判する意図はありません。
何かの世界で極めよう、一番になろうという目標を抱くことは、ごく自然で普通のことだと思うのです。ところが、それだけになって視野を狭めてしまうと問題が生じかねない。私たちはそのことに気づかなくてはならない、というメッセージだと受け止められます。
さすがドラッカーと言うべきか。
個人の目標も、最初は狭くても良いけれど、成長するにつれて社会性を持たなくてはならない、と解釈しています。
自分の(組織の)仕事の目的、目標には社会性があるでしょうか?
※1: 「二人の石切り職人」の話は田坂広志氏がよく書かれています。(※1)
http://www.hiroshitasaka.jp/tayori/ 第47便 二人の石切り職人 2002年09月19日
内容は公開されていませんが、「二人の石切り職人」で検索すると、いくつも引用したものが出てきます。同じく、ごくごく簡潔に記すと、
一人目は生活のために石を切る
二人目は大聖堂を立てるために石を切る
同じ仕事をするうえでも、意味がまったくちがうという話です。
※2: 「三人の石切り職人」はドラッカーの「マネジメント」が出所らしいです。
http://natsuo-omodaka.no-blog.jp/qualia/2004/11/post_7.html
(原典は未確認です)
※3: 日経新聞 2009/03/19付 夕刊 マーケット総合2 「十字路 ウォール街と政府の失敗」(漢南洞)
ハーバード大学の学長はドリュー・ファウスト氏
| 固定リンク
「m ガバナンス」カテゴリの記事
- 市場メカニズムがもたらす関心と責任感の狭域化を自覚せよ(2017.03.03)
- ヒトを活用することの対価と「人才」(2009.04.14)
- 「三人の石切り職人」の寓話(2009.04.07)
- 日教組宿泊拒否問題で書類送検のニュース(2009.03.19)
- 従業員持ち株会(2008.10.16)
「o 経営理念」カテゴリの記事
- 市場メカニズムがもたらす関心と責任感の狭域化を自覚せよ(2017.03.03)
- ヒトを活用することの対価と「人才」(2009.04.14)
- 「三人の石切り職人」の寓話(2009.04.07)
- オープンな組織とは?(2009.03.24)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
初めて利用させてもらいましたが、大変満足です!
商品も新品ということでしたが、新品!?と思えるほど綺麗な状態でした♪
梱包も丁寧過ぎるほどで、スタッフさん、ショップさんの心遣いがとても感じられました!
品揃えも多いので、また気に入ったものがあれば是非利用したいです。
ありがとうございました(*^^*)
投稿: スーパーコピー 腕時計 修理 ガラス | 2021年7月14日 (水) 00時36分