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2009年4月 7日 (火)

「三人の石切り職人」の寓話

聞いたことのある方も多いと思うのですが、実は「石切り職人」(もしくは「石工」)の話には、三人出てくるものと二人のもの(※1)がありますが、ここでは三人の方。出所はどうやらドラッカーの著書。(※2)

ごくごく簡潔に記すと、

一人目は生活のために石を切る
二人目は国中で一番の石切り職人になるために石を切る
三人目は大聖堂を建てるために石を切る

三人目が経営者として一番なのは言うまでもないが、問題は二人目、というのがドラッカーの指摘したポイントらしいです。

ちょうど先月の日経のコラムにその話が出ていました。(※3)

昨年10月、米ハーバード大学の学長が金融危機に関連して三人の石工の話をし、
「成果主義が幅をきかせたウォール街の人々は二人目の石工」
だと説明し、
「大聖堂を建てようとする社会がなければ、石を切る需要もない。二人目の石工にはそれが分かっていない」
と断じたのだそうです。

私はここでウォール街を批判する意図はありません。

何かの世界で極めよう、一番になろうという目標を抱くことは、ごく自然で普通のことだと思うのです。ところが、それだけになって視野を狭めてしまうと問題が生じかねない。私たちはそのことに気づかなくてはならない、というメッセージだと受け止められます。

さすがドラッカーと言うべきか。

個人の目標も、最初は狭くても良いけれど、成長するにつれて社会性を持たなくてはならない、と解釈しています。

自分の(組織の)仕事の目的、目標には社会性があるでしょうか?

※1: 「二人の石切り職人」の話は田坂広志氏がよく書かれています。(※1)
http://www.hiroshitasaka.jp/tayori/ 第47便 二人の石切り職人 2002年09月19日
内容は公開されていませんが、「二人の石切り職人」で検索すると、いくつも引用したものが出てきます。同じく、ごくごく簡潔に記すと、

一人目は生活のために石を切る
二人目は大聖堂を立てるために石を切る

同じ仕事をするうえでも、意味がまったくちがうという話です。

※2: 「三人の石切り職人」はドラッカーの「マネジメント」が出所らしいです。
http://natsuo-omodaka.no-blog.jp/qualia/2004/11/post_7.html
(原典は未確認です)

※3: 日経新聞 2009/03/19付 夕刊 マーケット総合2 「十字路 ウォール街と政府の失敗」(漢南洞)
ハーバード大学の学長はドリュー・ファウスト氏

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コメント

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