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2010年3月

2010年3月31日 (水)

桜の季節を迎えて

今朝、近所に完成したばかりのアパートのドアが開き、住人らしい人が鍵を閉めて出ていくのを見かける。ほんの2,3日前に道路際に植栽がされたばかりだったのに――。そうか、明日はもう4月1日。多くの人が新年度を迎える。(NHKはすでに月曜から新しい番組編成に変わっている!)

今年は桜の開花が6日(?)も早くて、晴れやかな気分と同時に、いくぶん急き立てられているような気持ちになったけれど、天気が待ったをかけてくれた。おかげで心の準備が少し追いついた気がする。

視点を変えて、景気の状況はというと、新興国の需要が力強いらしく、去年の今頃に比べれば持ち直しているけれど、楽観はできない。他方、政治は政権交代後の混迷が続いていて、少なくとも私たち庶民には先々の見通しが立たず、借金だけが膨らんでいくように見える。

そんな中でも、私たちは春を迎えて桜を楽しみ、年度の替わり目を迎えてリフレッシュした気持ちで新しいこと取り組む。社会の経済や政治の状況が明るくないからといって、日々の生活まで暗くならず、楽しさを見出しながら、前向きに日常に取り組むのが人間の良さだと思う。

この、いわばマクロとミクロのギャップをどのように埋めるか、活かすか、というのが現代社会の課題だと思う。悲観的にならず、ただ批判的にならず、手の届く範囲のことから、より大きな社会のことへと意識と行動を広げていくには、どうすればよいのだろう。

小さな会社で仕事をしていると両者はまったく別世界のことのように思える。少なくとも、より大きな社会の影響を受けることはあっても、その逆はほとんど感じられない。とても大きな会社で仕事をしている人にとっては、自分の仕事と会社全体の業績の間に同じような距離を感じることだろう。

ほとんどの人にとっては、ギャップは努力の倍増で解消できるものではない。では、やれることがないのかと言うとそうでもない。一種の「あり方」みたいなもの、意識の持ち方ではないかと思う。「自分にできること」の範囲を少し広げて考えてみて、その中から「自分がやるべきこと」を見つけ出す――その程度のこと。


それが当たり前のように集積されたとき、ギャップが縮まり始めて、誰もが桜の美しさに心を奪われなくても晴れやかな気持ちになる――そう信じて4月を迎えようと思う。

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2010年3月 9日 (火)

財務3表の1チャート化

BS,PL,CF のいわゆる財務3表を、1つのグラフチャート上に表したいと考えていました。それもできるだけカスタマイズなしで。

1チャートに表すからには、売上高や総資産に比べて、純利益やキャッシュフローの大きさが小さくなるのはしかたありません。それでも見づらくならないように、いかに情報量を絞るかがポイントです。

何より悩ましかったのはキャッシュフロー計算書。プラスになったりマイナスになったりするのを、どのように表すか。見せ方とグラフの作り方で、しばらく行き詰まっていました。それをなんとか解決したのが、下のチャートです。

題材にしたのは富士フイルムグループ。総資産を100としたボリュームで、金額は表示していません。まだ出来上がっていないので、あくまでチャートのサンプルとしてご覧ください。

◆富士フイルムホールディングスの2009年3月期 連結決算 (画像クリックで拡大)

Ffhd0903v2_2 ※当初のチャート画像に一部誤まりがあったので差し替えました。「固定資産ほか」が「流動資産」と表記されていました。お詫びして訂正いたします。<2010/03/21>

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2010年3月 8日 (月)

気象庁に拍手!

津波予測の話ではない。桜の開花予想をやめたことに対して。


◆気象庁、桜の開花予想取りやめ 「国の役目終えた」
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20091225AT1G2501X25122009.html

数年前から民間の気象会社も同様のサービスを提供しており、同庁は「民間の予想精度が上がり、国としての役目を終えた」としている。

2003年に民間のウェザーニューズ、07年に財団法人の日本気象協会が桜の開花予想を始め、以降は毎春、3社による予想合戦に。同庁内部でもいつまで続けるべきか検討を重ねてきたという。

気象庁には、桜の開花予想よりも、津波などの災害を招く気象の予想に取り組んでほしいと思う。多くの人がそう感じているだろう。

どんな組織にも、環境変化とともに重要度が低下する仕事がある。まったく意義がなくなったわけではないけれど、やるに値しなくなった仕事――つまりムダな仕事が、つねに発生するものだ。そして、ムダな仕事をだらだらと続けていれば、組織の生産性、効率性がどんどん落ちていく。

民間企業であれば、事業が世の中に合わなくなれば売上が落ちるので、価値の低い仕事から価値の高い仕事への移行を進めるメカニズムがある。それが遅ければ収益性が低下し、いずれ淘汰される。

他方、役所の仕事には、売上に当たるものがないので、このメカニズムが働きにくい。役所の仕事にムダが多いとされるのは、そのせいもある。昨年末、話題になった「事業仕分け」は、このムダを削ぎ落とす作業でもあったと思う。

とはいえ、民間企業であれ役所であれ、担当している人はその仕事に意義を感じているはずだ。何十年も桜の開花予想の精度向上に取り組んできた人にとっては、とても大事な、意義の高い仕事であったと思う。

それをやめる決断ができるのは、たいていの場合、当事者ではない。民間企業なら経営陣が決断を下し、役所なら国民・政治家が決断を下す。

今回の気象庁の決定は、役所が自ら「事業仕分け」を行ったようなものだ。その英断に拍手を送りたい。


わが身をふりかえっても、ムダな仕事がけっこうありそう。自分の基準ではなく、効果の観点で見直して、やめる努力、勇気が必要だ。経験則では、忙しい時期にやり過ごす仕事は、ムダな仕事である可能性が高い。

あなたは、自分の業務にムダな仕事がないか見直していますか?
誰かに見直されるしくみがありますか?

もちろん、民間企業であっても、収益性の高い事業や会社の中には、ムダな仕事が残されやすい。

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2010年3月 7日 (日)

キム・ヨナ選手の金メダルを喜ぶ

少しタイミングを逃してしまったが、オリンピック、女子フィギュアスケートについて。


金メダルのキム・ヨナ選手の演技は、素人目にも素晴らしかった。残念ながら、浅田真央選手とは格段の差であったと思う。それは浅田選手の力不足というより、キム選手がずば抜けていたと言うべきだと思う。

テレビでご覧になった方も、同じような感想を抱いた人が多いのではないでしょうか?


IOC(国際オリンピック委員会)のロゲ会長も次のように述べています。

「1984年サラエボ五輪のトービル、ディーン組(英国)を見て以来の感慨だった」と、ロゲIOC会長もフィギュア女子の金姸児(韓国)の名前を挙げてたたえた。(2010年3月1日付 日経新聞 夕刊 五輪面)


その割に、新聞やテレビは浅田選手やほかの日本人選手の活躍にばかりスポットライトを当てすぎていたように思う。隣り合った極東の2つの国が2回続けて金メダルを獲得したことを、もっと喜んでいい。

欧米が中心であったフィギュアスケートの歴史を、アジア人がさらに高いレベルに進化させる。こうした人類の進歩を見られるからこそ、オリンピックは面白い。


※ちなみに、トービル、ディーン組は、「ボレロ」の演技で世界を魅了したアイスダンスの金メダルペア。若い方はご存じないかも。

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「債務超過」

財務会計の研修で「債務超過」について質問されることが多い。

「債務超過」⇒「経営破たん」という連想だけがインプットされているけれど、実際にこの2つがどのような関係にあるのかわからない人が多いようです。



「債務超過」自体はBS(貸借対照表)さえ理解していれば、とてもシンプルでわかりやすい。

資産<負債 であれば債務超過。それだけ。

それなら「負債超過」と呼んでほしいところだが、そうなっていない。でもそれだけ。

資産=負債+純資産 (または 資産−負債=純資産)

BSではつねにこの関係が成り立つので、
債務超過であれば、純資産はマイナスになる。

純資産の主な構成要素はというと、
・株主から払い込まれた資本金などと、
・過去の利益の蓄積である利益剰余金(内部留保にあたる)
の2つ。

純資産がマイナスということは、
過去の利益の蓄積の逆、つまり「損失の累積」が、
資本金などの金額をすべて食いつぶしてしまったことを意味する。



どれぐらいマズイことなのか?



その前に「経営破たん」の確認を。

こちらはシンプルではない。
会社更生法や民事再生法など、いくつかの方法、状態があり、それらに至ることが広く「破たん」と呼ばれている。
(例えば、ウィキペディア「倒産」の項、日本の欄を参照)

でも、要するにキャッシュがなくなって、借金の返済や諸々の支払いに行き詰まることだ。



「債務超過」に戻ろう。

「債務超過」の定義にキャッシュは出てこないけれど、
2つの面でキャッシュ不足をうかがわせる。

1つには、損失が累積しているぐらいだから、事業からキャッシュを生み出せておらず、むしろ流出していると考えられる。

もう1つ、お金を借りるなどして調達すれば足りるのだけれど、一般に債務超過の状態では銀行が貸してくれない。(もちろん銀行の人の判断次第では
ある)



この2つが組み合わさると、キャッシュ不足にならない方がおかしいように思える。

もっとも、過去の損失の結果として債務超過に陥っていても、直近では業績が回復しており、利益も出て、事業からキャッシュを生み出せている場合もある。

したがって、債務超過になったからといって、経営破たんに至るのは時間の問題、ということはない。




私たちが会社の財務諸表を読むときは、その会社の経営状態を知りたいとき。「債務超過」は「破たん」のリスクが高いことを伝えるシグナルだと捉えるべき。

しかし、「債務超過」でも、業績が回復していて事業からキャッシュを生み出している状態であれば、リスクはそれほど高くないと考えるべき。



ところで、「債務超過」になっていなくても、「経営破たん」はある。

破たん処理された会社でも、GMは、はっきりと「債務超過」だったのに対して、
日本航空は破たん処理前の決算で「債務超過」ではなかった。

万能の診断基準ではない。

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2010年3月 6日 (土)

「トイレの神様」

3/10のCD発売を前にブレイクしつつある「トイレの神様」。植村花菜というシンガーソングライターが歌う。FMで流れて大反響が起こっているらしい。私もFMで聴いた。

ネットで検索すれば YouTube で聴くことができる。10分もあって、歌詞が物語になっているので、じっくり聴くと思わず涙してしまうので、ご注意あれ。

歌詞⇒ http://www.clearsky.co.jp/kana/toilet.html
(植村花菜オフィシャルウェブサイト)






さて、ここから先は、曲と歌詞を聴いてから、お読みいただきたい。






なぜ、この曲は私たちの心に響くのか?

ストレートな「おばあちゃん」への追悼ソングだから。

しかし、それだけではない。

1つのキーフレーズはここ。

 ♪どうしてだろう 人は人を傷付け
  大切なものをなくしてく

とくに都会で暮らす私たちは、家族と遠く離れ、疎遠になることが多く、祖母、祖父は日常生活の中でほとんど存在感がなくなっている。

でも、決して大切に思っていないわけではない、という矛盾を私たちの多くが抱えている。

そして、もう1つ、私たちの心に染み入る最大のポイントは、
そう、タイトルにもなっている、サビのこのフレーズ。

 ♪トイレには それはそれはキレイな
  女神様がいるんやで
  だから毎日 キレイにしたら 女神様みたいに
  べっぴんさんになれるんやで

おばあちゃんを象徴する教え。
この教えが血肉になって、今の「私」を「私」であらしめている。

「トイレを毎日キレイにすること」という教えであれば、
おばあちゃんそのものの思い出にはならなかっただろうし、
「私」に深く刻み込まれることもなかっただろう。

一種のレトリック(修辞)でしかないということもできる。
しかし、このフレーズはきっと「私」にとって真実だったであろう。




私たちは、事実にもとづいて物事を捉えたり、論理的に物を考えたりすることで、生活と社会を発展させてきた。

同時に、こうした上手なレトリックも捨ててきた。
事実ではないが、ウソでもなく、真実になりうる物語と、
中に埋め込まれた倫理観を一緒に。

なくしていっている「大切なもの」は、
家族とのつながりだけではない。

そうしたものへのノスタルジー(郷愁感)が、
この曲に惹かれる理由ではないだろうか?

もはやノスタルジーですらないかもしれない。
喪失感というべきか。

私たちの世代は、物語と倫理観を再構築していく責任があるだろう。
仕事の場においても。

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2010年3月 2日 (火)

「フリー 〈無料〉からお金を生み出す新戦略」

昨年後半、最近流行りの「無料」を核にしたビジネスモデルについて、いい本が見当たらないので、もう少し整理しておきたいなぁと思っていたら、出会いました。ちゃんと世の中には、そういうことをきちんと調べてまとめる人がいるものです。(もちろん、自分でやるより、断然レベルが高い)

「フリー 〈無料〉からお金を生み出す新戦略」

がそれ。
「ロングテール」を流行らせたクリス・アンダーソンという人が著者。

時間がない人は、第2章(p.48)までだけでも読まれることをお勧めします。


ここで著者は、フリーのビジネスモデルを、4つに分類している。
今後、これが基本フレームワークになるだろう。
(個人的には、これが欲しかった・・・)

フリー① 直接的内部相互補助
フリー② 三者間市場
フリー③ フリーミアム
フリー④ 非貨幣市場


厚い本なので、中盤はかったるくなって、多少飛ばし読みをしていたのだけれど、後半にかけてとても刺激的になった。頭の中がどんどん動き始めた。

良い本というのは、ぐいぐいその本の中に引き込まれるものもあるけれど、これは別のタイプ。
読んでいる途中で目が止まって、連想される別のことを考え始める。そういうことが何度も起こる本。久々に、何度もそういう体験をした。

これは、知識を得るだけの本ではなく、知っていることをわかりやすく整理してくれるだけの本でもなく、世界の理解のしかたの組み換えを求める本だと思う。
私自身は、まだ組み替えが十分にできていない――本を読んだだけで完全な組み換えはできないと思う――けれど、そのきっかけは確実にもらった。

1ヶ所だけ引用をしておきます。(孫引き)

SF作家のコリィ・ドクトロウによる「タンポポの考え方」を引用した部分。

 タンポポの視点から見れば、個々の――というよりほとんどの――種子の損失は重要ではない。重要なのは、春が来るたびにすべての舗装道路のすべての裂け目がタンポポで埋まることだ。タンポポはただひとつの貴重な自分のコピーを世話して、それがやがて自分のもとを離れ、注意深く道を選んで生育に最適な環境へと到達し、そこで家系を永続させることを望んだりしない。タンポポが望むのは、あらゆる繁殖の機会を利用することなのだ。
フリーのビジネスモデルは、「潤沢さ」を利用して、タンポポの戦略を採用することなのだという。 引用箇所の3つ目の文章(ただひとつの貴重な・・・)が、ヒトの戦略を指しているのは明らかで、私たちはそのギャップに悩まされることになる。

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ROA の計算で分母に期首期末平均を用いるのはなぜか?

財務分析の指標の話。
ある受講者の質問をきっかけに、説明のしかたを深く考えさせられました。

以下、少し長いです。予めご了承ください。

ROA(総資産利益率)やROE(株主資本利益率)、あるいはATO(総資産回転率)などの指標を計算するとき、分母である、総資産(ROA,ATO)や株主資本(ROE)に、期首(前期末)と期末の値の平均値を用いるのはなぜか?

財務会計の研修で受けた質問です。

よく受ける質問なので、答え方は決まっています。

分子である「利益」や「売上高」は、1年間の「期間」の値なので、分母も、一時点ではなく「期間」の値にすべきなのです。そのために、期首と期末の値を平均して、期間平均値とします。

ちなみに、この手の指標は、期間に「年」を用います。預金金利は、6ヶ月定期であっても、年利で表示されますよね?

こんな具合です。

質問された方は、一応わかってくれたようですが、どうも完全には納得がいっていない様子が、表情からうかがわれました。

それが気になって、その晩、何がわからなかったのだろうと考えました。

何かをわかろうとするとき、私たちは、知っていることの類推で捉えようとします。ところが、このケースは身近に類推がきくものがありません。

【体重との比較】

例えば、体重。
60kgの人が、1年間で3kg増えたときのことを考えましょう。

3割る60で、5%増えたと言うのがふつう。
このとき、60kgと1年後の63kgの平均(期首期末平均)で割ったりしません。
最初の60kgを分母にして割り算をします。

先のような私の答えでは、体重の場合との違いがわかりません。
(ごめんなさいね。)

何が違うのでしょう?

体重の場合、同じもの(体重)について、ある時点とその1年後を比較します。
そして、「変化(増加)がどれだけか」を、最初の時点を基準にして、パーセント表示しているのです。

ATOやROAに代表される、資産回転率や資産利益率の指標は、分母にあたるもの(資産など)を使って、分子にあたるもの(売上、利益)をどれだけ生み出せたか、を捉えるものです。
体重のように、同じものの変化を捉えているのではありません。

分母である資産などは、日々増減しています。
それを用いて、日々売上や利益を得る活動をしているので、分母に期間平均を用いるのです。

もしデータがあれば、365日の残高を平均すればよいのですが、実務上は、簡便に手に入る期首期末の値だけで平均値を算出します。

【預金金利との比較】

手段と成果という関係は、むしろ預金と利息の関係に近い。
でも、預金金利の計算でも、期首期末平均なんて聞いたことがありません。近いとはいえ、やはり違うのです。

まず、単利であれば、体重と同じです。
(単利は、付いた利息を元金に加えない。)

では複利とはどこが違うのでしょうか?

(複利は、付いた利息を次の元金に加える。
例えば、10%の半年複利で100万円を1年間預けると、半年後に5万円(半分の5%)の利息が付き、1年後には、105万円の元金に5.25万円の利息が付いて110.25万円になる。)

違いは、分母と分子を別物として扱うかどうかです。

複利計算では、ある期間の元金にその期間の利息を加えたものが、次の期間の元金となる。つまり、利息の分だけ元金が増える、という関係。

他方、ROAやATOの計算では、分母と分子は独立したものとして扱われます。

例としては、ATOの方がわかりやすいでしょう。

売上高/平均総資産 で計算される総資産回転率(ATO)は、資産を用いて、どれだけの売上高を得たかを表す。
しかし、得られた売上高が、総資産に「加わる」わけではない。

売上高の大小は、総資産を増減させる要因にはなるけれど、そのまま足されるわけではない。
逆に、総資産は売上高の大小と関係なく増減することがある。

つまり、分子である売上高と分母である総資産は、別のものであるから、独立して扱うわけです。

ROAやROEのように分子が利益の指標でも、独立して扱う点は同じです。(ATOに比べると違いがわかりにくくなりますが・・・)

生み出された利益は、分母である総資産や自己資本を増加させるけれども、分母が増減するのはそれだけが要因ではない。

したがって、
ある期間に得られた利益が、期末の分母に加わっているという風には考えません。分母の増減は分子の大小と関係がない、つまり、独立している、という扱い方をします。

さて、相当長くなってしまいましたが、これで、期間平均をとる理由が納得できたでしょうか?
もう少しシンプルな説明方法ができるように、今後工夫を加えたいと思います。(何かいい知恵があれば、ご教示ください!)

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