問題を主体的に捉える
昨日、「問題解決」をテーマに仕事仲間と話していたときに、言葉になったこと。
ビジネスの場において、当事者として問題に取り組むときには、必ずしも客観的である必要はない。問題の性格によっては、主観的に捉えるほうが良い。
客観的に問題を捉えると、「○○制度が悪い」「経営方針がよくない」などと、他責になりやすい。問題の要因分析として誤りではないかもしれないが、問題に取り組む当事者にとって、他責の捉え方をしても意味はない。(もっとも、会社の制度や経営方針を変えるように働きかけるなら、他責ではないので話は別。)
他方、主観的に問題を捉えるとは、自分が当事者として解決にあたるべき問題を見出すこと。単に自分の立場からは問題はこんな風に見える、という意味ではない。その意味で、「主体的」の方がより的確だ(「客観的」と対にするのは少しおかしいけれど・・・)。※
しかし、そもそも客観的に捉えようとするのは、主観的な捉え方には短所があるからだ。1人の人間しかも当事者の視点は、往々にして視野が狭かったり、バランスを欠いていたりする。主観的な問題の捉え方をするのであれば、その短所を補うしかけが必要だ。
短所を補うために、他人の力を借りる。自分一人で抱えている問題をいったんテーブルに載せ、客観的に眺める必要がある。他人の視点でその問題を捉えなおしてもらう。そうして、改めてその問題を当事者として「主体的」に捉えなおすのだ。
こうして主体的に捉えなおした問題は、当事者にとっての「課題」もしくは"issue"
に変わっていることが多い。当然のことながら、客観的に捉えられた問題よりも解決に向けた行動を起こしやすい。
※「問題を自責で捉える」、でも意味はほとんど同じ。ただし、「自責で〜」は、問題(の解決)に対する姿勢のことだけを指している印象を受けやすい。ここでは、問題自体の捉え方に焦点を当てているので「主観的」「主体的」とした。「主観的」に比べると、「主体的」も「自責」と同じような誤解が起こりうる。
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