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2012年6月27日 (水)

クリティカル・シンキングからラーニング・シンキングへ

ラーニング・シンキングとは、何かから学びを得る方向で考えること。日本語にするなら「教訓思考」。(どちらも私の造語)

この思考をもっと増やすことが重要だと思う。

シンキング、思考法と言えば、ロジカル・シンキングやクリティカル・シンキングが思い浮かぶ。

このうち、私たちが日常生活でよく使っているのが、(あまり厳密な意味でない)クリティカル・シンキングだ。

とくにニュースに接したときに、つい批判的な見方をしてしまうことが多い。(これは報道機関が批判的な姿勢を取るので、その影響もある。)

例えば、原発事故に関連して「想定外」という弁明があった。このニュースに接したときにどう考えるか。

想定が甘かったのではないか、意図的に想定範囲を小さくしたのではないか、と考えるのが批判的な思考、クリティカル・シンキングだ。

これに対してラーニング・シンキングでは、自分が当事者なら「想定」の基準をどこに置いただろうか、とか、家族や勤め先など自分が直接関わるものの危機管理において「想定外」に当たることは何だろうか(放置して問題ないか)、と考える。

つまり、わが身に置き換える、ということだ。対象となる題材はそのままに、自分がその中の誰かになったつもりで考えてみる。あるいは、身近な題材に置き換えて考えてみる。

そうすると自然に学びが起こる。

わが身への置き換え方、つまりラーニングを得る切り口はいくつもあるので、まずは自分の関心事に引きつけて考えてみればよい。時間を置いて別の切り口で考えてみるのもよい。

ラーニング・シンキングはクリティカル・シンキングに取って代わるものではない。しかし、もし学びを得るタイプの思考をほとんどしていないようなら、比重を思い切ってラーニングに移すとよいと思う。

たちまち身の回りの出来事、接する情報が学びの題材で溢れていることに気づくだろう。多すぎても困るようなら、一日一つに絞るなどすればよい。

クリティカル・シンキングが不要だと言っているのではない。批判によって影響を与えられるのでない限り、批判的な見方はそこそこにして、ラーニング・シンキングを取り入れよう。

そうすれば何よりも大きな学びが得られる。

その積み重ねが自分の成長につながるし、引いては社会全体の学び、成長につながるーー私はそう信じている。


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