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2017年3月

2017年3月23日 (木)

組織が持つ関心と責任感の狭域化メカニズム: 階層による範囲の分業と組織目標への没頭

市場メカニズムが、私的利益・幸福へのフォーカスを促し、社会全体への関心と責任感を低下させるのと同じく、組織も全体への関心と責任感を低下させる。もう一つの狭域化メカニズムである。

組織は分業による専門化で個々の業務の効率向上をもたらす。他方で、他部門や組織全体への関心や、組織の外の環境、社会への関心を低下させる。これは正確には、分業制よりも階層制の影響と考えられる。分業体制の設計や部門間の調整、外部環境への適応などの業務を管理職や経営者層に委ねるので、残りの構成員は切り分けられた部分だけを見ていればよいことになる。その意味で階層制も一種の縦の分業特化言える。これを「階層による範囲の分業」と呼んでおく。(※注)

また、勤め先の会社のことを考えれば、組織はその目的へのフォーカスと没頭を促すこともわかる。自社の商品を世の中に普及させること、お客様に喜んでもらうこと、売上や利益を上げること。何であれ、目的や目標が明確な組織であれば構成員はそこに集中する。それ自体は成果を大きくする上で有効だが、行き過ぎると社会全体の利益や幸福への関心が低下する。組織目標が私的利益の追求であればなおさらである。その結果、構成員は組織活動の環境としてしか社会を見なくなる。これを「組織目標への没頭」と呼んでおく。

以上のように組織は「階層による範囲の分業」と「組織目標への没頭」という関心と責任感の狭域化メカニズムを持つ。したがって、人の生活の中で組織での活動が占めるウェイトが大きくなればなるほど、このメカニズムの影響を大きく受けることになる。

(※注) 分業についての補足。いわゆるヨコの分業が、必ずしも関心と責任感の狭域化を促すものでなさそうなことは、市場取引や貿易における分業、専門特化を考えればわかる。何に特化すべきかを自ら見直す必要があるからだ。

★2017年5月14日: 一部の表現を修正して更新しました。

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2017年3月 3日 (金)

関心と責任感の狭域化: 私的利益の与件としてしか世界を見ない

前回書いた「関心と責任感の狭域化」という見方に対しては反論があるだろう。自分は世界情勢にアンテナを立てている、と。ビジネス界でグローバルに活躍している人に多いかもしれない。では問おう(わが身にも)。

それは自分のビジネスに役立てるためではないのか?
そうやって知った世界の現実に、構成員の一人として一定の責任感を持って向き合うつもりはあるのかと。

自分のビジネス、つまり私的利益の追求のために社会についての情報を集め、役立てる見方を、「日経新聞的世界観」と呼んでおこう。そこでは世界、社会についての情報はビジネスの与件や環境、あるいはヒントを得る材料として扱われる。(※注)

世界をそのようにしか見ないのであれば、どこかで問題が起きていようと、火の粉が降りかからない限り、見て見ぬふりを決め込むことができる。責任感の放棄である。関心は狭域化されていないものの、責任感は狭域化されている。

(※注)多少乱暴な見方で日経新聞の方には申し訳ない。ただ、現実に私自身を含め読者の多くはその有用性ゆえに日経新聞を選択している。「株式市場的世界観」の方がわかりやすいかもしれないが、株式市場では情報を売り買いの材料にするけれども、自社のヒントにするという側面がないので避けた。

★2017年5月14日: 一部の表現を修正して更新しました。

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市場メカニズムがもたらす関心と責任感の狭域化を自覚せよ

ヒトは集団・共同体がなければ生きていけない動物である。したがって、大人は集団・共同体の利益・幸福について一定の責任を負う。それは現代にあっても同じはず。
ところが、市場経済をベースにした現代社会では、「個々人が私的な利益の追求をすれば自動的に社会全体の利益が達成される」という市場メカニズムが働く。そのため、個々人の関心は私的な利益の範囲に限定され、社会全体がどうなっているかに無関心になり、責任感が薄れる。「関心と責任感の狭域化」である。

市場メカニズムが万能で完璧なら問題ないのかもしれない。しかし現実はそうではない。補うためには、社会全体の利益・幸福についての関心と責任感を取り戻す必要がある。まず、私的利益の追求への没頭は「関心と責任感の狭域化」だと自覚することが第一歩である。
★2017年5月14日:一部表現を修正して更新しました。

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