関心と責任感の狭域化: 私的利益の与件としてしか世界を見ない
前回書いた「関心と責任感の狭域化」という見方に対しては反論があるだろう。自分は世界情勢にアンテナを立てている、と。ビジネス界でグローバルに活躍している人に多いかもしれない。では問おう(わが身にも)。
それは自分のビジネスに役立てるためではないのか?
そうやって知った世界の現実に、構成員の一人として一定の責任感を持って向き合うつもりはあるのかと。
自分のビジネス、つまり私的利益の追求のために社会についての情報を集め、役立てる見方を、「日経新聞的世界観」と呼んでおこう。そこでは世界、社会についての情報はビジネスの与件や環境、あるいはヒントを得る材料として扱われる。(※注)
世界をそのようにしか見ないのであれば、どこかで問題が起きていようと、火の粉が降りかからない限り、見て見ぬふりを決め込むことができる。責任感の放棄である。関心は狭域化されていないものの、責任感は狭域化されている。
(※注)多少乱暴な見方で日経新聞の方には申し訳ない。ただ、現実に私自身を含め読者の多くはその有用性ゆえに日経新聞を選択している。「株式市場的世界観」の方がわかりやすいかもしれないが、株式市場では情報を売り買いの材料にするけれども、自社のヒントにするという側面がないので避けた。
★2017年5月14日: 一部の表現を修正して更新しました。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント