ミサイル落下の不安から、自国の政府を統制する責任を果たさないことこそ「危機」である。
共謀罪法案は北朝鮮のミサイル落下のリスクよりも日本社会にとって深刻な危機である、という主張はなかなか受け入れにくいものかもしれない。すぐにでも起きうる物理的・肉体的な危険と、将来起こりうる自由の危機とは比較しにくいうえ、前者の方が起きたときのインパクトが大きいと感じるのがふつうだからである。
したがって、共謀罪法案の方が深刻だと言うと、ミサイル落下のリスクを甘く(低く)見ているのではないか、と言われるだろう。そこから先は、危機についての主観的な認識になるので客観的な議論が難しい。
ではなぜ、それを承知のうえで、共謀罪法案の方が深刻な危機だと主張するのか?
私たちには自国の政府を統制する責任があるからだ。国民主権というからにはその責任も伴う。
共謀罪法案の成立は、日本政府の強権化・独裁化への歯止めを損なうことになる。現在の日本政府、つまり安倍政権は、集団的自衛権を認める安保法施行や、沖縄の辺野古新基地建設の強行で、憲法違反と見られることを推進している。憲法を自分たちに都合よく解釈する政府は独裁政権である。この先には、国民の基本的人権の侵害だけでなく他国との戦争の可能性が高まると考えるべきである。
北朝鮮のミサイル問題は、北朝鮮の政府が独裁政権であることから生じている。
私たちは、自分たちの政府が北朝鮮のように強権的で独裁的にならないようにコントロールする責任を負っている。ミサイル落下の不安におびえて、自分たちの政府の強権化・独裁化を許してしまうと、自国民に対してだけでなく、他の国の人々に対しても無責任なのだ。将来、隣国の人々にミサイル落下の不安を及ぼすことになりかねない。
ミサイル落下の不安から、自国の政府を統制する責任を果たさないことが、私たちの社会にとっての危機なのである。
確かに、共謀罪法案の成立とミサイル落下のリスク回避との間には、直接の関係がない。内容的にはどちらを取るかというトレードオフ関係ではない。しかし、現在の政治状況を見ると、日本周辺の安全保障環境の緊張度を考慮すると、世論は「現在の政権がよりまし」という選択をしているように見える。つまり、安全保障を優先し、共謀罪法案成立を目指す政権・与党を(消極的にでも)支持しているように見える。つまり、事実上のトレードオフ関係にある。
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