市場メカニズムがもたらす関心と責任感の狭域化を自覚せよ
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「質問会議」に続く、日本アクションラーニング協会代表 清宮普美代氏の著書、第2弾。
「成果を上げつづけるリーダーの仕事術」という副題にあるように、チームリーダー、チームマネジャーがどうあるべきかをわかりやすく説いています。
要するに「チーム脳」を作り出すリーダーになるにはどうすればよいか、です。具体的には自分の意見を言う「意見リーダー」と、質問を投げかける「質問リーダー」を対比させたりしながら、新しいリーダー像を描きます。
その背景として(本の中の説明とは少し違いますが)、階層型組織のリーダー/マネジャーモデルでは、現在の知識創造型企業の組織運営がうまくいかないという状況があります。
私自身そういう考えの下、チームメンバーの力を引き出すタイプのマネジャーを育成するための研修プログラムの開発に取り組んでいたので、共感できるところが満載。読んだ直後に清宮さんに会う機会があったので、「あの本、すごい良かったですよ~!」と気持ちを込めて伝えました。
誤解のないように付け加えると、「質問会議」手法については直接触れられていません。手法のエッセンス、あるいは背景にある考え方を、チームリーダーの行動に拡大適用したものと言えます。
したがって、私がぜひ尋ねてみたいのは、「質問会議」を体験したことがない人が読んだらどう受け止めるのか? どこまで伝わるのか?
(著者も「わからない」とおっしゃってました。どなたかいらっしゃったら教えてください。)
この点さえクリアになれば、幅広いリーダー層、マネジャー層にぜひお勧めしたいです。
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「自責」と聞くと、どちらの意味を思い浮かべますか?
a.自分を責めとがめること
b.自らの責任として捉えること
ビジネス界の方であれば、b.が先に浮かぶ人の方が多いのではないでしょうか?
実は広辞苑ではa.の意味しか出ていません。(※1) 用例として「自責の念に駆られる」が挙げられているように、しばしば「〜の念」とワンセットで使われますね。
b.の方の意味は、本ブログの読者にはご存知の方も多いと思いますが、「他責」と対で使われます。「他責」は他人や自分以外の環境・環境変化要因のせいにすることです。自分の責任を回避する方向で物事を解釈したり、報告したり・・・。
そういうのが当たり前になってしまっている組織もあるので、本や研修では「他責ではなく自責」が大切、と強調されます。
では、a.の自責とb.の自責は、まったく関係ないのでしょうか?
あるいは、基本的には同じなのでしょうか?
自分を責めるのは、自分の責任で捉えているのが前提。そこまでは同じ。
しかし、b.の意味では、「過去の行いについて自らを責める」ことを求めません。むしろ「これからどうするか」という将来の行動に焦点を当てます。
細かく言うなら、b.の意味(自責−他責の自責)では、分析として過去のことを扱うけれど、それは将来の自分の行動を導くためのもの。
これに対して、a.の意味(責めるほうの自責)では、過去にしか目が向けられていません。
犯罪を犯したならともかく、仕事上で起こるほとんどの失敗、うまくいかないことについては、a.の意味での「自責」は必要ないように思います。
振り返ることは大切ですが、自分を責めるよりも、これから何ができるかを考えたいものです。(それ以前に、他人のせいにしたり、他人を責めたりしないように気をつけないといけませんね。)
※1:「自分で自分を責めとがめること。『――の念に駆られる』とだけ記載されています。〔シャープの電子辞書搭載の広辞苑(何版か不明、最新版ではない)〕
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今月発売のDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューに、「コア・コンピタンス経営」「経営の未来」などの著書で有名な、ゲイリー・ハメル氏の「マネジメント2.0」という論文が掲載されています。(※1)
20世紀に発展した「マネジメント(1.0)」のパラダイムをシフトさせるのが「マネジメント2.0」。そのための課題を25つ挙げています。(※2)
私たちの世代は、20世紀に一応の完成を見た「マネジメント」を革新して、新しい「マネジメント」を創造していく責任があると思うのですが、大いにその参考になります。
25の課題の1番目は「経営層がより次元の高い目的を果たす」というもの。
特に重要とされる最初の10項目の中には、ほかに
4.「階層制の欠点を取り除く」
6.「管理手段を刷新する」(自律的なコントロールを促す)
7.「リーダーシップを問い直す」
10.「組織を小単位に分ける」
などがあります。
弊社のテーマ「オープンな組織とエンパワーされた社員」に関連するものでは、
12.参加型の手法を用いて組織の方向性を決める
15.情報をできるだけ広く共有する
17.社員の裁量の幅を広げる
23.社内外の力を動員できるよう、新たなマネジメント手法を考案する
などがあります。
短い見出しだけでは何を言わんとするのかわかりにくいので、ぜひ論文(記事)をお読みください。
※1:ゲイリー・ハメル、「新時代へ向けた25の課題 マネジメント2.0」、
pp.58-72,DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2009年4月号
※2:シリコンバレーの非営利研究機関「マネジメント・ラボ」が開催したカンファレンスで選ばれたもの。
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週末は大学院時代の恩師の還暦お祝いパーティーがあり、そのお手伝いをしました。
企画・運営は有志で、話し合いのための全体会合は一切なくメーリングリストのみで行いましたから、なかなか難しくもどかしい面もありました。一方で、現在海外に在住しているメンバーが積極的に参加するという、メーリングリストならではのメリットもありました。
実際、何人かの中心人物の地道な作業等がなければ動かなかったのは確かですが、しっかりした組織がない中、自発的な分担だけでよくやれたものだと思います。
メール・ファシリテーション的な要素も重要でした。
良い反応が得られたのは、ある業務の担当を引き受けると自ら名乗り出たうえで、協力者を呼びかけたとき。また、担当業務について経験談やアイデアの提供をお願いしたときも、多数のレスポンスが得られました。
一番に名乗り出るのは難しくても、誰か一緒にやってくれるなら、という安心感は確実にあります。また、自分は別の担当をする、あるいは担当まではちょっと、という人でも、知識やアイデアを提供するぐらいならできる場合もあります。ちょっと失礼な言い方かもしれませんが、アイデアだけでよければラクで楽しい、という面もあります。
配慮は必要なものの、自発的なものですから最終的には実際に動く人が決定権を持つことになります。結果、実らないアイデアも多いのですが、それよりも参加度を高めるきっかけとなる効果があったと思います。
担当を引き受けたからと独りで抱え込まずに、あえて協力を仰ぐと、思いもよらぬ協力者や知恵が出てきたりして、より積極的な参加者を増やす効果があるのではないでしょうか?
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今週の日経ビジネスの特集は「人を切らない経営 雇用騒乱 社員はコストか」。
記事中で紹介される、ダンボール国内最大手レンゴーの大坪社長が実践するのが表題の「フルコスト主義」です。(※1)
「資本」「税」「社会」「労働」への再分配をすべて費用として価格を決める考え方だそうです。
ふつうのコストの考え方とどこが違うのでしょう?
「これまでの製造業は限界利益を追うことばかりを考えてきた」ために、固定費である人件費を削減し、さらに変動費化した非正規社員の人件費削減にまで踏み込んでいるのが現状だといいます。
一方、フルコスト主義は「労働への再分配」も製品価格の決定要素になり、「取引先にフルコスト主義が認められなければ、ウチは仕事を休ませてもらう、という強い意志が必要」だと説きます。その姿勢で値上げ交渉に挑んで実現したことがあるのだそうです。
ちょっと違いがわかりにくいかもしれません。要するに原材料や設備などの費用はメーカーとしてコストダウン努力の対象にするけれど、本来必要な人件費(労働への再分配)はコストダウン努力の対象にしない。それよりも、こうしたコストを確保できる価格水準を実現する努力をせよ、ということだと解釈できます。
ちなみに、日経ビジネスはここ2,3年、わりとはっきりと従業員を大切にする論調が感じられます。経営者層が中心読者というイメージがありますが、おもねることなく、警鐘や新しい経営のあり方をメッセージとして発信するという姿勢でしょうか。
※1:日経ビジネス 2009年3月9日号 pp.28-30 「派遣を正社員化する真意 レンゴー・大坪社長、均等待遇への通過点」より
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先週金曜日(3/6)の日経夕刊に「短時間正社員」の記事が載っていました(※1)。
「短時間正社員」というのは、原則無期契約(定年まで雇用)で、所定労働時間が一般のフルタイム正社員(週40時間程度)より短い社員のことらしいです。給料などの処遇も、正社員と同等であること(もちろん時間には比例)もポイントです。
こういう働き方の選択肢が増えることには賛成です。注目されているワークシェアリングだけでなく、ワーク・ライフバランスの観点やダイバーシティの観点でも望ましいと言えるでしょう。
働く人にとっての選択肢が増えるということは、会社側から見ても働いてくれる人の選択肢が増えるわけですし、多様な人材(才)を集めることができます。「働くことの意義を高める」施策・制度の一つだと思います。
記事では、サイボウズ社のフルタイム正社員の女性が、大学院のMBAコースに通うために週4日勤務(うち1日は授業のために定時退社)の「短時間正社員」になった、という事例などが紹介されていました。
実は私自身、もう10年近く前ですが、大学院に通うのに土日以外に平日1日を休ませてもらう勤務形態を認めてもらっていました。休んだ1日分は残り4日に長く働いて、ある程度カバーする形です。
おかげで、2年間で修士課程を修了することができました。それでも両立は体力的にきつかったのを覚えています。
大学院にはかぎりませんが、さまざまな事情で、一時的にでも働くスタイル、時間数を変えるという選択肢が広がることを期待しています。
※1: 2009/03/06付 日経新聞(夕刊)らいふプラス欄「広がる?短時間正社員」
■参考: 記事で紹介されていた厚生労働省委託による支援サイト
「短時間正社員制度導入支援ナビ」
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今朝の日経にソニーのハワード・ストリンガー会長兼CEOのインタビュー記事が掲載されています(※)。タイトルは同氏の言葉。
「命令では人は変わらないし、動かない。それがこの十年間で得た教訓だ。今回は必要なステップを踏んでおり、変革はやりやすい。妥協は許さない」
驚くのは、ストリンガー氏にして、「命令で人は変わらないし、動かない」という教訓を得るのに、十年間かかったという点です。
私のような、人材(才)開発に関わる仕事をしている者の業界では、ある意味、常識です。
しかし、米国で活躍してきた60代後半の経営者にとって、この教訓を得るのは難しかったのでしょう。それだけでなく、権限にもとづく命令を基本とする組織の中で成功してきた人は誰でも、いや、そういう人ほど難しいはずです。
−−−
ご存知のようにソニーは、今回(4月1日付)の組織改革でストリンガー氏が社長を兼務することになりました。氏への権限集中でトップダウン型の色彩が強くなった印象ですが、上のコメントを聞くと、それほど単純でないことが想像されます。
「命令では人は変わらないし、動かない」ことを踏まえた上で、組織のトップとして変革をリードする、という難しい課題に取り組むわけです。
ストリンガー氏の今後の動きに注目し、変革期・過渡期のリーダーシップのあり方を学びたいと思います。
※: 2009/03/04付 日経新聞 企業総合欄 「ソニー ストリンガー氏、社長兼務」
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よく、「内発的動機を引き出す」と言われますが、そういう考え方は有効なのでしょうか?
「内発的」なものを、どうやって他人が「引き出す」ことができるの? という素朴な疑問です。
1)外発的動機づけ、内発的動機づけ
動機づけ(モチベーション)の理論によれば、動機づけは、要因の種類によって「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」の2つに分けられます。
動機づけ要因が本人の外にある、つまり報酬や賞賛などによるものを「外発的動機づけ」と呼びます。他方、本人の内にある、つまり仕事や勉強など、動機づけの対象となった行為そのものに、やりがいや楽しさを感じることによるものを「内発的動機づけ」と呼びます。
ちなみに「づけ」はしばしば省略されます。(以下、省略します)
2)なぜ、内発的動機?
外発的動機は、要因となる報酬などがなくなったり、当たり前になったりすると低下するので、仕事の世界では、これに依存しすぎるのはよくないとされます。
これに対して、内発的動機は本人の主体性が発揮されるので、粘り強さや創意工夫が現れやすく、これをいかに高めるかが、最近のビジネス界での大きな課題の1つになっています。
3)内発的動機は「引き出せる」か?
外部である他人がどうこうして、動機が高まるのであれば、それは「内発的動機」ではありません。これは言葉の定義の問題です。
では、どうしようもないのか、というとそんなことはありません。
「高める」ではなく「引き出す」という、きわどいニュアンスがポイントです。つまり、直接的な刺激で変化を起こそうとするのではなく、環境を整えることによって、時間をかけて本人の内側から動機が高まりやすくするのです。
4)本当に「引き出し」ているか?
でもこれ、本来あるものを「引き出す」のですから、本人を変えるのではなく、本人に合わせて環境を変えるのが基本です。その境界はグレーゾーンですが、行き過ぎて本人を変える方に傾けば「洗脳」でしょう。
結束力の固い組織に長くいれば、半ば洗脳された状態になることもあるでしょう。それが問題になるかどうかは、次の二つの視点でチェックすることが有効ではないでしょうか。
5)理論としての有効性
「内発的動機を引き出す」というきわどい表現自体が、この理論の脆さを教えてくれています。仕事の場での「動機づけ」について、要因のありかを人間の「内部」か「外部」かに分けるのは、あまり意味がないことのように思えます。例えば、犯罪を裁く場では、この違いは重要に思えます。
おそらく、5〜10年後にはビジネス、組織開発の世界で「内発的動機」という言葉は廃れているでしょう。むしろ、これからは、
といったことが問われ、実践や理論化が進んでいくのではないでしょうか?
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問題の記者会見から二日間ほどの間に辞任に追い込まれた中川財務・金融大臣。辞任の是非はともかく、この一件から、私たちは何が学べるでしょうか?
リーダーシップの観点で考えてみたいと思います。
TV、新聞を垣間見るかぎり、批判の矛先はおおむね2種類に分けられるようです。
一つには、対外的な日本のイメージダウンを問題視するもの。醜態をさらした、という批判です。海外メディアでも取り上げられたことが拍車をかけました。
もう一つは、職務姿勢の甘さや自己管理の不足を問題視するもの。へろへろの状態で会見に臨んだこと、もしくはその原因となった飲酒がいけないという批判です。
前者は結果を問題にし、後者はその原因を問題にしているとも言えます。そして印象としては、後者、つまり姿勢の甘さ、気の緩みのようなものに対する批判が強いように思えます。
なぜそれほどまでに問題視されるのでしょうか?
もし、現在のような経済情勢でなければ、どうだったでしょう?
国会の政治バランスからすると、責任追及の材料にされた可能性がありますが、即日辞任には至らなかったかもしれません。
とすると、庶民は危機に瀕しているときに、国のトップは危機感が欠如している、という「ギャップ」(要するにKY)が問題にされたと考えるべきではないでしょうか?
ひるがえって企業組織に当てはめると、現場の切迫した空気を読めないトップはリーダーとして認知、支持されない、ということを物語っています。
政府は民主主義制度のもとで運営されているので、トップマネジメントにあたる大臣が辞任に追い込まれるわけです。ところが、ふつうの会社組織では、現場からの反発でトップマネジメントが辞任するケースは稀でしょう。
しかし、そこにリーダーシップは存在しません。そこにあるのは、権限によるマネジメントのみです。リーダーシップは他のメンバーから支持されて初めて存在するものではないでしょうか?
私自身そうなっていないか、改めて振り返りたいと思います。
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