原題は"Silent Takeover"(無言の乗っ取り)。タイトルだけでなく、静かに進行する社会の変化に対する警鐘の書という意味でも、カーソンの「沈黙の春」(Silent Spring)を思い起こさせる。
※「巨大企業が民主主義を滅ぼす」 書誌データ(このブログ内)。
※「沈黙の春」文庫版、新装版(四六版変型) いずれも新潮社のサイト。
今では古典となったカーソンの著書は、農薬や殺虫剤などに持ちいらる化学薬品が、生態系の破壊をもたらすことを世の中に訴える先駆けとなった。一方、ハーツによる本書は、巨大な多国籍企業が、民主主義国家の政府に取って代わる存在になりつつある現実を、豊富な事例で描いている。
■企業が国家にとって代わる
「世界の国家と企業の経済規模の上位一〇〇社をみると、企業は五一社入っており、国家は四九ヵ国にすぎない。」(p.14, 企業の売上高とGDPを比較)というのだから、「乗っ取り」でなくても、経済的な権力の面で企業が国家に取って代わるほど大きな存在になっていることがわかる。
その「乗っ取り」について描く前半部では、巨大企業(の一部)が金の力で、政府や国際機関の政策に影響を与えている様子に、暗澹たる気分にならざるを得ない。
■企業による統治
一方後半部は、消費者が購買行動を通じて企業に影響力を行使したり、インターネットや直接抗議行動を通じて企業や政府の政策に影響を及ぼしたり、という事例が挙げられ、光明を感じることができる。
また、ジョージ・ソロス氏やテッド・ターナー氏のような成功した実業家が、莫大な金額を慈善活動や国連に寄付するなどのかたちで、従来の政府の役割を補っている面にも目が向けられている。
さらに、突き詰めれば利益追求のためのマーケティング手法であっても、CSR(企業の社会的責任)が重視されることで、企業活動が倫理的になる面も指摘されている。
■人々のための民主主義の再建
こうした企業による統治に対抗するルート、実業家や企業活動自体に期待できる部分を挙げながらも、著者はまったく楽観はせず、最後に「人々のための民主主義を再建」する方針を打ち出している。
具体的には、あまり詳しい記述はないものの、次の6つの方策が提起される。
1)国家のレベルで、企業の特権を剥奪する、
2)トリクルダウン理論へのこだわりを捨てる(レーガノミクス、サッチャリズムの否定)、
3)国家レベルでの企業の力を抑止する(独禁法強化など)、
4)グローバルなレベルでの政治を組みなおす(海外の子会社の事業活動に対する責任を親会社に義務づける、世界社会機関のような機関を設立するなど)、
5)最も排除され周縁においやられている人たちの問題を解決する
6)グローバルな税金管理機関を設立する
■企業による統治に対する民主主義
しかし私の見方は少し違う。著者の挙げる方針は確かにもっともなもので、「人々のための民主主義を再建」すること自体には、もちろん全面的に賛成する。
しかし、新たな権力者である企業に対して、政府や国際機関が規制をかけ、問題解決を図る、という方法で、果たして十分なのだろうか。従来の民主主義制度による政府の統制が、それほどうまくいっていないことを考えると、このやり方は楽観的すぎる。
むしろ、新たな権力者である企業を民主的に統制する方法を、もっと幅広く検討すべきだと思う。市場主義経済では企業は利益追求を第一にする、という前提で本書は書かれているが、必ずしもそういう見方がすべてではない。
現状では制度面でも未発達の部分が多いが、企業自体の統治(ガバナンス)を、より民主的なものに近づけることが可能なはずだ。それによって企業による社会の統治を、より民主的なものにすることができるのではないか。その方が楽観的すぎるとの批判は覚悟しているが、本書に対するコメントの域を出るので、別の機会に改めて考えを述べたい。■
最近のコメント