教育の機会不平等を「やむをえない」で済ませてよいか?
教養とは本来、「不当さ」をその身に引き受けさせられた他者への想像力を、可能にするものであるはずなのだから。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
教養とは本来、「不当さ」をその身に引き受けさせられた他者への想像力を、可能にするものであるはずなのだから。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
2016年4月3日(日)
今朝、東京新聞で、中村一成というフリージャーナリストへのインタビュー記事を読んでいて、
ヘイトスピーチに対する法規制の議論に出てくる「表現の自由」に関する、氏のコメントが印象に残った。
「同じ社会の成員が、属性に対する罵詈雑言を浴びずに済むという当たり前の安全安心を得られないことをどう考えるのか。人間性の否定を我慢するしかないのか。それなのに表現の自由と言われても、私には『国民様』の自由と権利としか映らない」
※東京新聞2016年4月3日付、朝刊。記事URL (Webで全文は公開されていない。)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2016040302000161.html
中村氏は、元毎日新聞記者でヘイトスピーチに関する取材をしている人。
著書「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件〈ヘイトクライム〉に抗して」など。
記事は主に日本国内の在日朝鮮人に対するヘイトスピーチを取り上げたものだが、上記のコメントはもっと広い範囲に適用されるべきものだと気づいた。
同じ朝刊の読書欄にエマニュエル・トッド氏の新書「シャルリとは誰か?」の記事が載っていたが、
フランスにおける「シャルリ・エブド」の話に通じる。
グローバル化が進んで、地球全体が一つの「社会」になりつつある時代に、国民国家を単位としていた「社会」の価値観などが再構築を迫られている。
この日の午後は、同じ沿線で催されている「さくらまつり」に子連れで出かけた。曇り空で少し肌寒かったけれど、満開の桜をのんびりと楽しむことができた。
私は、日本社会で少数派や弱者に分類される機会はほとんどなく、世界の中では豊かなほうの上位2割に入るだろう。簡単に言えば「既得権者」側にいる。それは、今持っている豊かさや価値観の一部を失う側(少なくとも相対的には)になることを意味する。
このことを自覚したうえで、今持つ価値観や享受している豊かさの基盤を、「地球社会」を前提にして見直して、再構築していく必要がある。■
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
金曜日の夜、各停しか止まらない芦花公園駅で電車を降りて、アイバンラーメンに向かいました。
http://www.ivanramen.com/
ニューヨーク出身のアイバン・オーキンさんが始めたラーメン屋さん。
自家製麺、スープが売り物。
でもやっぱり、アメリカ人がやっているラーメン屋さん、というのが一番の売り物になっていると思う。
私自身、そうでなければ、わざわざ足を伸ばさない。
写真はサラダつけ麺。(正確なメニュー名はちょっと違うかも)
見た目がきれいだったので思わず写真をとる。パスタみたいだ。
基本はオーソドックスなつけ麺だが、アレンジ物なので、サラダとの組み合わせは好き嫌いがあるだろう。
(私はトッピングの白髪ねぎをつけ汁に入れ、サラダにはドレッシングがかかっているのでそのまま食べました。パスタ感覚ならOK。つけ麺だと思うと違和感が残る。)
ちなみに、ラーメン1杯800円~1000円前後。カウンターだけの店で、この立地では、高い。
それでも行列ができる。(ちなみに私は2度目だけれど、幸運なことに今回も並ばずに入れた)
マスメディアに取り上げられたせいもあるが、それだけでさびれた商店街の一角にある店に行列は続かない。
彼が本を出していて、私はそれを読んで初めて店に入った。それまで「アイバン」が人名だということも知らず、何回か通り過ぎて人が並んでいるのを目にしたことはあったけれど。
今回、サラダつけ麺を注文して改めて感じたのは、この店はラーメンを一つの「料理」として出しているということ。
一般のラーメンだって料理にはちがいないが、ラーメンは「料理」というほど特別なものではない。しかし、外国人であり、一流の料理人であるというアイバン・オーキンさんによって、ラーメンは「料理」として捉えられ、作り変えられた。
大した違いはないのかもしれないが、そのように思わせる物語性が、この店の人気の背景にあるのだろう。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
先週金曜日の日経新聞記事 「私は『買い足し派』 愛着ある家電 長〜く使う エコポイントに縛られず」に思わず手を打ちました。(※1)
「エコポイント」対象外の地デジチューナーや小型冷凍庫、サーキュレーターを買う人がいる、という内容。
エコ型の新製品に買い換えるよりも、今ある電機製品を使い続けるほうが環境負荷が小さい場合が多々あるでしょう。「エコポイント」というのは環境負荷を低減させるための政策というよりは、エコのイメージを利用した景気刺激策という見方があります。(※2) その通りかも知れません。
しかし、少なくとも一部の消費者は政府の政策に惑わされることなく、「エコ」な生活を求めていることが記事から伝わります。もっともこの「エコ」は「エコノミー(経済的)」のエコでもあるのでしょうけれど。
企業サイドから見れば、国を挙げての販促策にすら乗ってこない消費者もお客なわけですから、さらに知恵を使ってそうしたお客に対応する必要がありそうです。
※1:日経新聞 2009/05/29付。
※2:たとえばこのコラムを参照: http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090522/195568/?P=1
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
いまさらここで確認するほどのことではないかもしれませんが、会社によって使い方が違ったりするので、気をつけておきたい用語です。
a.課題=取り組みを課された問題
例「解決すべき課題があふれている」
「取り組みを課された」とありますが、もちろん「自ら課す」ものも含まれます。
この場合、「課題」と「問題」はほとんど区別する必要がありません。とはいえ、問題の数だけ課題があると例のようにオーバーフローしてしまうので、数多ある問題の中から重要なものに的を絞って「課題」とするのがよいでしょう。
b.課題=目標達成のために実現すべきこと
例)「景気回復が課題」「生産性の向上が課題」
「景気回復が課題」の場合は、例えば「失業率の上昇が問題」で「失業率を○%以下にするという目標」のために「景気回復が課題」となります。
「生産性」のほうは、例えば「○%のコストダウン目標」のために「生産性を◎%向上させることが課題」となります。
「課題=目標」でいけないわけではありませんが、「目標」とは別に設定されるのが、この使われ方の特徴です。1つの大きな目標を達成するために、2つ以上の課題を設定することもよくあります。
また、課題が最初から明らかとは限らないので、設定する過程を「課題抽出」「課題化」などとも言いますね。
「重点課題」という場合、ほぼこの用法だと思われます。
c.課題=弱点、苦手としていること(その肯定的表現)
例)「強みと課題を挙げてください」「プレゼンテーション能力が課題です」
「弱み」などと言うよりは、伸ばすべきこと、伸ばしうること、という前向きなニュアンスが加わります。
元々、b.の意味の「プレゼンテーション能力の向上が課題」の省略形だと思われますが、いずれにせよ、必ずしも「目標」が明確でありません。
本来は、目標に即した課題を挙げるべきなのでしょうが、「課題」だけが一人歩きしてしまっている使い方があると感じます。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
「自責」と聞くと、どちらの意味を思い浮かべますか?
a.自分を責めとがめること
b.自らの責任として捉えること
ビジネス界の方であれば、b.が先に浮かぶ人の方が多いのではないでしょうか?
実は広辞苑ではa.の意味しか出ていません。(※1) 用例として「自責の念に駆られる」が挙げられているように、しばしば「〜の念」とワンセットで使われますね。
b.の方の意味は、本ブログの読者にはご存知の方も多いと思いますが、「他責」と対で使われます。「他責」は他人や自分以外の環境・環境変化要因のせいにすることです。自分の責任を回避する方向で物事を解釈したり、報告したり・・・。
そういうのが当たり前になってしまっている組織もあるので、本や研修では「他責ではなく自責」が大切、と強調されます。
では、a.の自責とb.の自責は、まったく関係ないのでしょうか?
あるいは、基本的には同じなのでしょうか?
自分を責めるのは、自分の責任で捉えているのが前提。そこまでは同じ。
しかし、b.の意味では、「過去の行いについて自らを責める」ことを求めません。むしろ「これからどうするか」という将来の行動に焦点を当てます。
細かく言うなら、b.の意味(自責−他責の自責)では、分析として過去のことを扱うけれど、それは将来の自分の行動を導くためのもの。
これに対して、a.の意味(責めるほうの自責)では、過去にしか目が向けられていません。
犯罪を犯したならともかく、仕事上で起こるほとんどの失敗、うまくいかないことについては、a.の意味での「自責」は必要ないように思います。
振り返ることは大切ですが、自分を責めるよりも、これから何ができるかを考えたいものです。(それ以前に、他人のせいにしたり、他人を責めたりしないように気をつけないといけませんね。)
※1:「自分で自分を責めとがめること。『――の念に駆られる』とだけ記載されています。〔シャープの電子辞書搭載の広辞苑(何版か不明、最新版ではない)〕
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
GW連休明けは仕事が思いのほか立て込みました。ブログの更新もぱったりストップ(汗)(※1)
4月の下旬に「GW明けてから」と言われる案件が増えるだけでなく、明けてから想定外の依頼が来たり、追加の要請が来たりします。もちろん自分でも前倒しにしようと思いながら、先送りしてしまっていることがあります。
「思いのほか」なんて言ってるようではいけませんね。いったい何年仕事をしているんだ!?と叱られそうです。
来年の予定表の4月の欄に
「GW明けは想定外のものも含めて仕事が立て込むので、必ず前倒しで進めて置くように」
とメモを書き入れておきたいと思います。
※1:こちらの記事を参照。 現時点で1週間分余り追いついていない模様・・・。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
珍しく映画のDVDを観ました。(※1)
「ペイバック」だと「恩返し」、「ペイフォワード」は受けた恩を別の人に送るという意味。
サイトの解説によれば(※2)
「1人の人間が3人の人間に親切をし、さらにそれぞれ親切を受けた者が3人に親切をしていくというもの」。
社会科の課題に出された“自分の手で世界を変える方法”に対して、主人公の少年が考え出したのがこの“ペイ・フォワード”計画。
すばらしいアイデアではあるが、かつて誰も考えつかなかったようなものでもない。それが広がっていないのはなぜでしょうか?
おそらく、映画で少年が語っていたように、勇気が足りないから。
そして、多くの人が自分の手で世界を変えられると信じていない、あるいは変えたいと心から願っていないから。それとも?
できない理由を探すことはありません。できることを考えましょう。
私は「ペイ・フォワード計画」に、明文化されていない良いしかけが2つあると思いました。
1つは、親切をした相手に「別の人に送るように伝える」こと。
もう1つは、少年のおばあさんから後のつながりがそうだったのですが、受けた恩「見知らぬ他人」に送ること。
「親切」は簡単で小さなことでもかまわないし(※3)、3人でなくても2人でもかまわないでしょう。その代わり、日常的にちょっとした感謝の気持ちをこまめに他人に送る。
そうした小さな「ペイ・フォワード」の積み重ねは、やがて社会を循環し始めるはずです。
私はこの作品を知り合いのコンサルタントの方に勧められました。
感謝の気持ちを込めて、本ブログをご覧になっている方にこの作品をお勧めします。
※1: ペイ・フォワード[可能の王国]、原題 Pay It Forward、2000年、米国、ワーナー・ブラザース
※2: gooサイト http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD32433/
※3: 映画では「親切」は簡単なことではいけないとされています。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
豚インフルエンザがパンデミックの一歩手前まで来て、心配が広がっています。しかし、人類が真に警戒すべきは「強毒型の鳥インフルエンザ」だと言われます。
素人には弱毒と強毒の違いがニュアンス以外によくわかりませんでしたが、昨日の日経新聞を見て衝撃を受けました。(※1)
今回と同じ「H1N1型」(弱毒性)の「スペインかぜ」は、全世界で2000万人〜4000万人が死亡したとされています。(※2)
しかし、その「発症者に占める死亡率」は「2%」。
他方、鳥インフルエンザウイルスの「H5N1」(強毒性)は、なんと「60%」!
ただし、感染力は「弱い」とされています。
ということは、対策のしかたを劇的に変えるべきではないでしょうか?
つまり、弱毒型であれば、感染・発症はしても重症化しないように手を打つ。
強毒型は、とにかく感染拡大を防ぐ。
いや、素人の判断に頼ってはいけないので、引き続き最新情報に注意しましょう。
※1: 日経新聞 2009/05/04付 朝刊 科学面 「ウイルスの正体に迫る 新型インフル解明本格化 遺伝子4種が混合」
掲載されていた表をそのまま引用します。
−(以下引用)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
主なインフルエンザウイルスの比較
感染力 発症者に占める死亡率 人での流行の持続性
――――――――――――――――――――――――――――――――
新型ウイルス 不明 不明 不明
(H1N1型) (強い?) (低い?)
――――――――――――――――――――――――――――――――
スペインかぜ(1918年)
ウイルス 強い 2% 約40年流行
(H1N1型)
――――――――――――――――――――――――――――――――
アジアかぜ(57年)
ウイルス 強い 0.5% 約10年流行
(H2N2型)
――――――――――――――――――――――――――――――――
香港かぜ(68年)
ウイルス 強い 0.2―0.3% 約40年流行
(H3N2型)
――――――――――――――――――――――――――――――――
鳥ウイルス 弱い 60% −
(H5N1型)
――――――――――――――――――――――――――――――――
(注)季節性のA香港型(H3N2型)は香港かぜ、Aソ連型
(H1N1型)はスペインかぜの遺伝子を引き継いでいる
−(以上引用)−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
※2: 東京都健康安全研究センターの「日本におけるスペインかぜの精密分析」のページ
http://www.tokyo-eiken.go.jp/SAGE/SAGE2005/sage.html
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント